7 彼の幸せ
馬上に引っ張り上げようとして、また随分と重たくなったなと思った。姫様が会ってみたいから連れて来るようにと言うので、初めて息子を城へ連れていく。粗相をしないかあまりにも心配で、昨日あたりから胃が痛い。
五歳になった息子は、誰に似たのかやんちゃだった。決して俺ではないと思う。思いたい。
庭のりんごの木に登って枝を折るし、近所のコッコちゃんをいじめてはぼこぼこに仕返しをされるし、コログがいる・いないの話で近所の年上の子供相手に喧嘩をして引き分けてくる。本当に誰に似たんだろうかと、頭を抱えない日がない。
「王宮の木には登るな」
「うん」
「それから壁も登ってはいけない」
「うん」
「コログがいても見て見ぬ振り」
「え、うん……」
「池に飛び込んだり、枝を振り回したり、服も脱いで走り回るのも今日は無しだ」
ゆっくりと歩む馬の上で、揺られる秋の小麦畑みたいな頭がこっちを振り返った。翡翠色をしたクリクリの目玉が、信じられないものを見る目つきで俺のことを疑っている。
いない間の悪戯は全て乳母から聞いており、加えて身に覚えも多少あるものを適当に列挙しただけだが十分に効果があったようだ。
「父さん、なんでおれのやったこと、ぜんぶしってるの……」
どう答えるのが正解かなと一呼吸考える。
「父さんも小さい頃にやって、父さんの父さんに怒られた」
すると「おお」と少しびっくりした顔になってから、小さい頭がまっすぐ「わかった」と頷いた。
これで本当にやらないのならこんなに頭を悩ませることも無いのだが、まぁ子供なんてこんなもんだよなと自分の小さい頃を思い出す。駄目と言われればやりたくなるし、無理と言われればできたぞと報告したくなる。
「行儀よくするんだぞ」
「うん。がんばる」
がんばるよりももっと実効性のある言葉を聞きたかったが、真剣な面持ちで前に向き直るので、そうあってくれと願う。でも本当のところは何かしでかす前に俺が自分の手で止めることになるんだと思う。覚悟はしておこうと腹を括った。
ふと見ると大事そうにポーチを握りしめていた。やけに手に力が入っている。
「何か入っているのか?」
手を伸ばそうとすると、ぱしっと小気味良い音がして手が弾かれた。
「だめ! お土産!」
ちょっと待て。いったい何を隠し持っている。
まだまだ力でも体格でも負けるわけがないので、軽々と腕を伸ばしてポーチを取り上げた。親指で弾いて蓋を開けて逆さまにすると、中からゴーゴーカエルとガンバリバッタがぼろぼろと転がり落ち、散り散りになって逃げていった。生け捕りとは恐れ入る。
「なんで?!」
「なんでじゃない」
「せっかくお土産だったのに!」
よかった。まずは一つ、乗り越えた気がする。
カエルはまだ許容範囲内かもしれないが。しかしながらこのお土産の感性は、あっちの血かなと少し思ったり。俺なら間違いなくどんぐりとかりんごとか、食べられるものばかりを選ぶ。
しかしまだまだこれは序の口。気を引き締めて手を繋いで、城内を連れ歩くだけで人がわらわらと近寄って来た。かわいいですねとお世辞をたくさん言われて、本人もまんざらではなさそうで、いつもよりもすました顔で大人しい。
大人しくしている状態のまま連れて行こうと思ったら、普段は王立古代研究所にいるはずのプルアさんの姿が見えた。どこから話を聞きつけて来たのか、にんまり近づいてくるので思わず小脇に抱えて逃げる。あのお姉さんは子供とは混ぜると危険だ。絶対に子供相手に全力でふざけて遊び始めるだろうから、せめて後にしてもらいたい。
姫様と陛下はすでに庭の奥まったところにある東屋に居て、今日は王配殿下の姿は無い。視察で丁度いないときを見計らって姫様が声を掛けてくださった。
陛下はこちらに気が付くと目を細めて手招きをした。息子が見上げて目を丸くするので「陛下だよ」と背を押してやると、おずおずと近くへ寄って礼をする。教えた通り大きな声でちゃんと名前を言って挨拶をした。陛下の大きな手が頭をくしゃくしゃと撫で繰りまわす。
「元気が良い子だ。おぬしの父に瓜二つじゃ」
ぱっと明るい顔がこっちを向いたので、笑い返してやったらニカーっと嬉しそうに歯を見せて笑っていた。
次いで姫様が息子の頬に手を伸ばす。姫様のほっそりした指が、まだ柔らかい頬を愛おしそうに撫でた。
「いくつになりましたか?」
「ごさい!」
「大きく、なりましたね」
決して名前は呼ぼうとしないが、姫様は息子の柔らかい頬をしばらく堪能するように撫でていた。
その手が止まり、おもむろにお腹を指さす。ふっくらと大きくなったお腹を丸く撫でながら息子の顔を覗き込んだ。
「赤ちゃんがいるの、撫でてくれますか?」
うんっと頷いて、息子は恐る恐る手を出そうとした。
多分大丈夫だとは思うが、それでも不安になる。乱暴にしないでくれよと、ひりひりしながら見ていると、なぜだか触る直前で真顔になり手を引っ込めた。慌てて戻って来て俺の足にぶら下がるように隠れる。
こんなことで怖気づくような繊細な気質ではない。むしろ何にでも手を出すからこっちが冷や冷やするような子なのに、これはどういうことだろう。
「どうした?」
すると息子は酷く困った顔をして、すがるように俺を見上げる。
「おれ、女の子と遊ぶの、わかんない……」
大人三人、目を丸くした。
ようやく息子はおっかなびっくり遠くから姫様のお腹に手を伸ばす。指先が触れるか触れないぐらいのところから、ほんの少しくるくると円を描くように。それが今のできるぎりぎりの優しい遊び方だそうで。
なんとなくその反応は分からんでもない。女の子って柔らかくて壊れてしまいそうなのに、時々怖いぐらいに強いんだよな。分かる、過分に覚えがある。
「本当に、女の子なのですか?」
びっくりした顔で姫様が問うと、息子は迷いなく「うん」と大きく首を縦に振る。まぁと口を押えて姫様が俺を穴が開くほど見つめるので、思わず首を横に振った。違います、何も吹き込んでいません。ですよね、と言わんばかりに姫様もすぐに首を縦に振った。
時々、母親のお腹にいる兄弟の性別を言い当てる子がいるというのは耳にしたことがあるが、それと同じ類なんだろうか。でも母親のことは一切知らせていない。こんなことってあるんだろうか。
不思議なものだなと感心していると、姫様は息子と手を繋いでゆっくりと庭を歩き始めた。もちろん後ろに付き従う。
「ちょうど娘が欲しいと思っていたところなのです」
「そうなの?」
「あなたのように元気な子だと嬉しいです」
秋のまだ暖かい日、城の奥まった庭でのこと。
姫様の嬉しそうな顔と息子の誇らしげな顔を後ろから見守りながら、幸せ者だなと目を伏せる。俺の手が守れる範囲に、大事なものがちゃんと二つ揃っていた。
了