6 彼女の誤算
あの日、御父様に直談判しに行った日。御父様は酷く渋い顔をしていた。
それもそうだろう。一人娘に一晩でいいから愛おしい男と添い遂げさせろと詰め寄られれば、どんな父親でも頭を抱えるに違いない。それでも御父様は私を、あるいはリンクを許した。
代わりに私はどんな伴侶でも受け入れることを約束した。歳が離れていようが醜かろうが、どれだけ不誠実な人であろうとも、このハイラルのためとなるならば受け入れる。
「やはり、あれは良い男だな」
去り際に嫌味のように言われたので、振り向いてにっこり笑う。
「当然です。私の対ですから」
その彼が置いていったシーカーストーンの中身は、私の期待した通りだった。
ハイラル中の人々、植物、動物、風景、文化、遺跡、果ては精霊まで、ありとあらゆるものが残されていた。時が経つにつれて人を写したものが少なくなるので、さすがに突き放し過ぎたかと罪悪感はあったけれど。事細かな姫しずかの場所の記録には目頭が熱くなった。
これは予想以上に大層な宝物になった。国を治める者として大きな財であったし、彼の歩いた道に思いを馳せることもできる。なによりもこうして垣間見るハイラルに愛おしい人が二人も生きていて、私は為政者としてそれを堂々と守れるのだ。これほど誇らしいことはない。
「そんっなに、面白いんですかー?」
ハイラル城へ戻る馬車の中で私がずっとウツシエを見ているので、インパは暇そうにしていた。
もうほとんど体形は戻っていたけれど、体力が戻ったわけではない。まだ長時間集中することは難しかったが、それでも一年という長い静養期間をこれ以上引き延ばすわけにもいかなかった。
「面白いですよ。インパも見ますか?」
「いえ、いいです」
「あら遠慮しなくてもいいのに」
「さすがに遠慮しますってば!」
口を尖らせているので、一旦シーカーストーンを閉じる。
城へ戻ったらやることが山積みだった。時々御父様からの書簡があって、どうやら私の王配の座を争う貴族が絞られて来たとのこと。帰ったら早々に何人かと顔を合わせることになるだろう。
それからリンクが居なくなった穴を埋めることも必要だ。静養中は腕に覚えのある者に侍女を兼任させていたが、城へ戻ったらそうもいかない。新しい私付きの騎士が必要になる。
そうだ。この際だから女性の騎士などどうだろう。
幸いなことに、厄災への準備として軍事的な訓練に志願した女性は少なくないから、腕の立つ女性を見つけるのはそこまで苦労しない。身元が明らかで信頼のおける女性兵を一人、騎士に召し上げるのは悪くない案だと思った。
それにこれからの平和なハイラルにとって必要なのは、腕が立つことばかりでなく、誰かの目標になるような人がいい。女性でも貴人付きの騎士になれることを証明する者を登用し、平和になって誰もが己の思う道を進めるのだと示すのも良いかもしれない。
「インパ、私付きの騎士のことですが」
「ひゃい!」
インパが数センチ飛び上がった。
「インパ?」
「ひぁ、ぃはいっ何で、しょうか姫様……」
あからさまに目を逸らす。だらだらと冷や汗をかいている。
「インパ!」
「何ですかっひめさまー!」
「何を隠しているのですか」
むぎゅっとほっぺたを掴んでひっぱって白状させようと揉んだのだが、ついにインパは帰り着くまでシラを切り通した。ずっと「私のせいじゃありません」とか「どうしようもなかったんです」「頑固者で」と泣き言ばかりで要領を得ない。
しょうがないので問い詰めるのは後回しだ。他にも色々考えなければならないことがたくさんある。騎士など別に後回しでも全然かまわない。一人を除いて、どうしようもなく欲しい人なんていないのだから。
だから城へ付いて開かれた馬車の扉、すぐ目の前にいた人を見て思わず「えっ」と小さくない声が出た。
「おかえりなさいませ、姫様」
リンクが居た。
記憶と寸分たがわぬ近衛の服を着込んで、顔はいつも通りスッと真っ直ぐだけれど、でも随分と気配が柔らかい。瞳も青く澄んでいて、水底まで光を通す水のように透明で、私の危惧などどこ吹く風。
「どう、して……」
「長旅でお疲れかと思いますが、まずは陛下の元へご挨拶を。ご足労を願います」
何でもない顔をして私の手を取った。
驚愕しているのをどうにか隠して御父様に帰京の挨拶をして、そのあとどうやって私室に戻ったのかあまり記憶がない。ソファーに座って、侍女たちが忙しなくしているのを眺めて、気が付けばお茶をもらっていた。
彼はすぐに部屋の外で待機してしまい、代わって私の世話に何人もの侍女が動き回る。手も動けば口も動く彼女たちは、久方ぶりの主人の世話に楽しそうにくるくるまるで踊っているかのよう。
世間から隔絶されていた私の一年を取り戻そうと、要ること要らぬこと片っ端から話題を振ってくる。その中でも一番大きかったのはやはりリンクのことだ。
「あの近衛騎士殿が、旅から戻られたら幼子を連れていたんですよ!」
「そうそう、あれには城中が驚きました。旅先でできた子だとかで、でもお母さまはすぐに亡くなられたそうで」
「本当にお可哀そうに。今は城下のお屋敷で、乳母と一緒に暮らしているんですって」
「可愛らしいけどやんちゃな男の子だって、あの近衛騎士殿がはにかむんですよ、信じられますか姫様!?」
まあそうなの、と言ったっきり二の句が継げない。そんな私に「さすがの姫様も驚きますよね」と侍女たちは同情してくれた。
もちろん驚くに決まっている。逃げよと命じたはずなのに、どうしてのこのこ帰って来たのか。ハイラルと言う国のしがらみから、リンクを自由にしてあげられる機会はもう作れない。私の努力、その一切合切を無駄にしたのだ、あの男は。
次第にふつふつと怒りが湧いてきて、ひと段落すると人払いをしてリンクを呼んだ。
「お呼びと伺いました」
「よくも私の前にその顔を出せたものですね」
彼は特に悪気の無さそうな顔をして、そのまま直立不動でいる。立ち上がってまた頬の一つでも叩きたい気分だったけれど、じっとりした疲れが体の底の方にあって立ち上がるのも億劫だった。
「理由を聞かせてください」
「自由にしてよいと申されたので」
「なんですって」
眉をひそめる。私の気配を察して、ところが彼は逆に少しだけ口角を上げた。
「『もう自由になってください』とおっしゃったのは姫様です。だから自由にしました」
実にあっけらかんとしていて、逆に腹立たしいぐらいだった。でも不思議と笑いがこみ上げてくる。
笑いを必死で我慢していると、でも、と彼は口ごもった。
「大変申し訳ないのですが、夜勤の量を減らしていただきたいのです。できれば早く帰ってやりたいので」
言いにくそうに、でもちゃんと最後まで言い切ったリンクは、妙に大人びて見えた。私はどうやら、自分の大事な人の力量を見誤っていたらしい。穴が開くほど見つめていたはずなのに、私の心配事は杞憂で、これならば大丈夫だろうと遥か昔に感じた違和感が消えてゆく。
何よりも、リンクがこれからもそばにいてくれるという安堵が、私の覚悟した痛みを癒してゆく。
「構いません、それについては私からもお願いしておきましょう。子供のために時間を割いてあげて」
「ありがとうございます」
ほころんだ表情を見て確信した。もうあの顔が凍り付いて動かなくなることはない。瞳の青さが沈むこともない。よしんばあったとしても、きっとあの子が融かしてくれる。
そう思うと無性に愛おしくて目を細めた。
「姫様?」
「いえ、あなたもそんな顔をするのだなと思って」
申し訳ないが、リンクのこんな顔はついぞ見たこともない。子供みたいだけどちょっと違う、たぶん子供の相手をするお父さんの顔だ。私には到底作ってあげられないのがちょっと悔しい。
ところが彼は大層な困り顔で、頬を少し掻いていた。
「いえ、怖い顔をして帰ると泣かれるんです……」
今度は思わず、声を立てて笑ってしまった。