遠くでアオーンと狼の遠吠えがする。
特に綺麗な月の夜になると狼の性分が我慢できなくなるのか、黄昏さんはハイリア山の方へ行って遠吠えをしていた。コログもたぶん一緒にくっついて行っている。
それでも入念に周辺に誰の気配もないのを探る。回生の祠で目覚めてすぐに出会ったおじいさんが住んでいた小屋、その荒っぽい布を敷いただけのベッドをずっと借りていた。
周りに誰もいないことに安心して、体を横向きに転がったまま俺は下穿きの中に手を突っ込んだ。もうだいぶ前から熱く兆しているそれを左手で軽く扱いてやると、腰のあたりから脳天へぴりぴりと心地よい刺激が駆け抜けていった。
「ん、ぁ……」
すぐに鈴口から溢れはじめる先走りを指に絡めて竿を扱き、目をつむって深く息を吐き出しながら快楽を逃がす。
ゾーラの里で姫様から逃げ出して以来、ほとんど我慢が出来なくなくなっていた。でも黄昏さんとコログがまるで見張りのようにくっ付いてくるのもあって、1人になれるのは今日みたいな夜だけ。
綺麗な月夜に一体何やってんだろうと思いながら、屹立するものを握りこんで無心で手を動かす。
「はっ…、あぁ………ふっ…」
あるいはこうして一人にして慰める暇を俺に与えることすら、あの賢そうな狼にとっては計算の内なのかもしれない。それは少しムカつく。ムカつくけれど実際、煮えたぎる腸のせいで手は迷うことなく動いた。
先端の柔らかいところを少し乱暴にいじり、雁首に指が引っかかるたびに腰が浮きそうになる。裏筋の峰を丹念になぞるころには、かつての自分が蘇ってくる。すると無性に急所である陰茎を乱暴に扱いたくなった。
強引に付け根から揺さぶり、強く扱いて、わざとかすめる自分の爪に背筋がぞくぞく震える。
「あっ…はぁッ……はぁ、………あぁ」
頭の中を占拠するのは具体的な記憶ではない。漠然とした、たぶん剥き出しになった感情の塊。
姫様に対して劣情を抱いてはならぬと戒める声と、そんなものあっても無くても所詮同じだと自暴自棄になる声とが、頭の中で同時にがなり立てる。どちらも自分の気持ちで、ただ忘れていただけ。自分が玉無しであることを思い出した途端湧き出してきた。
俺はままならない気持ちをずっとこうして、夜になると手荒に慰めていたらしい。
思い出したくないのは道理だ。村々を巡っていれば厄災で減じた人口のこともあって、子供はどこでも宝物のように扱われている。そんな温かな人の営みを見せつけられれば、100年前はおろか、今だってどんな人からも敬遠されるのは目に見えていた。
自分で望んだわけでもないのに、誰かの隣にいることを許されない。
「あっあぁっ……はぁっ、あ…うっ……」
我慢できなくなり体を起こし、下穿きを脱ぎ捨ててそそり立つ己を痛いぐらい強く早く絞り上げた。先走り以上の物が出てこない先端の穴を爪の先で執拗にいじめる。痛い、でも痛いぐらいがちょうどいい。出来ることならここに何か突っ込んで中をかき混ぜて、出せるもの全部出したい。
でも尿道に物を突っ込むより先に、重たく張り詰めた実体のない何かが頂点目掛けて駆け上がってくる。がくがくと腰が震えた。正直言うとめちゃくちゃ気持ちがいい。そうでもなければ、こんな無為なことはやらないだろう。
「はっぁッ……もう、でっ……ひめ、さ、…まっ……ッ」
背筋を痙攣させて、額から魂でも抜けていったかと思った。
はあはあと肩で息をして、何事も無かったかのように解けていく強ばりに虚無を覚える。本当なら出して終わりになるはずの行為だが、俺の場合にはただ強烈な達する感覚だけがあった。
出るものはない。元が無いのだから当たり前。
残るのはいつにも増して重たい気分。喉の奥から「あー」と音を吐き出しながら硬いベッドに倒れる。ゴツンとぶつけた額が少し痛かった。
「元とはいえ王様ならもっといいベッドで寝ろよー……」
俺はたぶん、姫様のことが好きだった。
明確な映像や出来事としての記憶が蘇ったわけではない。ミファーの記憶に引きずられるようにして脳裏に蘇ったのは、行き場のない怒りが煮凝った残骸。
姫様やミファーから向けられる感情の種類を理解しつつ、それに応じられない自分にずっと歯噛みしていた。何とも思っていない相手からならば、にべもなく断ることが出来る。でもそうじゃない相手だったから、苦しくて吐きそうだった。
100年前の俺は出来ることならば応えられるようになりたかったし、何より断って相手が悲しむところを見たくなかった。自分の努力で補えない物を求められ、不可能と知られずに押し付けられるのは苦痛以外の何物でもない。でも姫様に悪気が無いことも知っていて、憎からず想ってくださることに一種の喜びさえ覚えていた。
だから無表情の下に秘密を隠し続ける自分に腹が立ち、あるいはそう仕向けた誰かに怒りをぶつけたくて、夜な夜な実りのない乱暴な行為を繰り返していた。
「たぶん母さまだろうな」
顔も思い出せない母のヒステリックな泣き声だけが耳に残る。あの人はたぶん、本当に娘が欲しかったのだ。
すでに完全に下を向いた分身の付け根辺りを指腹で擦ると、小さな傷痕が指に引っかかる。ここまで傷が目立たないほど幼い時分に手を下せるのは母しかいない。生まれたのが何の因果か男だったから、母は俺から男の証をもぎ取ってしまった。
「本当に思い出さなきゃよかった」
もうすべてが面倒くさくて、乾き始めた息子をそのまま下穿きの中に押し込む。どうせ一人の時に欲を処理しているのは、あの黄昏さんには匂いでバレているのだろうし、コログは元々そういうこととはかけ離れた種族なので気にもしていない。
幽霊だった王様が寝ていたらしい硬いベッドに大の字になって、ムシロを張っただけの屋根の破れ目から星の瞬く夜空を見上げた。幸いにもまだここへ逃げ込んでから雨が降っていないが、屋根ぐらいは早めに修理しておいた方がいいかもしれない。あと風も寒いから隙間だらけの壁も。
「っていっても、なんもやる気起きないけどなー!」
あーとまた意味のない音を吐き出す。
食べて飲んで出して寝る。生きるための最低限の行為が本当に無為に思えた。自分が誰の隣に居ることも出来ず、また己に続く者も今後現れないと理解してからは、何もかもが億劫。
このまま眠りに落ちたまま気が付かないうちに息絶えて、草木の苗床にでもなれたらいいのになぁなんて。ゆっくりと夜の冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んだ時だった。
一瞬だけ、遠くに何者かの気配を感じる。
ぱちっと目を開けて、始まりの台地に登ってきた物好きの様子を探るも、本当に気配は本当にその一瞬で消えた。代わりにストンと軽い音がして、恐らく屋根に矢が刺さる。
「敵意、ではなかったか」
慌ててズボンと防寒着を着込み、小屋の屋根を見に行った。
そこには手紙のくくりつけられた矢が一本。見事な白羽の矢だ。嫌な予感しかしないが見ないわけにはいかないので、しょうがなく手紙を開く。内容は非常に簡潔なものだった。
『ゼルダ姫は預かった。カルサー谷まで来い』
俺は一体いつまで、喉の渇きに耐えながらあの人の傍に居ればいいんだろうとうつむく。思わず矢文など見なかったことにしようかと悪い考えが一瞬頭をよぎったが、すぐにそれも出来なくなった。
夜の風にたてがみをなびかせて黄昏さんが山を下ってくる。青い瞳はまっすぐに俺を見て、さぁ動くときだと言わんばかりに吠えられた。