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カカリコ村からラネールの方へ向かう道を、ゆっくりと歩いているつもりだった。100年前もラネール山の知恵の泉へ行くために通った道だが、今私の傍らにいるのはリンクではない。慌てて足を止めて、息を上げて追いかけてくるプルアを待った。
ごめんなさいと言うと、んもーっと言う彼女。顔のパーツを見れば確実にプルアなのだが、やはり一見して王立古代研究所の才女と呼ばれたかつての彼女と結びつけるのは難しかった。
「とても妙な気分ですね」
「姫様にとってはそうかもねネ。100年間封印していたとはいえ明確に寝起きしていたわけじゃないだろうし、時の流れと感覚がずれている感じ?」
「その通りです。これほど激変しているとはちょっと……」
何を言ったらいいか先を見失い、言葉の代わりに大きな溜息をつく。
「どうしたらよいのか、途方に暮れてしまいますね」
ラネール山へは厳しい道のりとはいえ、100年前にはそれなりに参拝者があったのだ。だがそのために整備されていた街道は今や完全に廃れ、もはやラネールへの旅人は1人も見当たらない。女神信仰の薄れなのかと少し残念にも思ったが、国という傘をあの日突然失った人々が生きていくには、信仰よりも大事なことがきっとあったに違いない。
しかしながらこんな国で、国とも言えないようなこの場所から、どうやって復興をさせていけばいいのだろう。自然と下を向く視界に、昔と変わらぬ気の強そうな顔がぬっと覗き込んできた。
「最初はインパに任せておけばいいと思うヨ。外つ国にアテがあるらしいから」
「外つ国に? 当てですか?」
突拍子もない申し出に思わず目を丸くする。
遥か昔から、他の国々と外交が無い訳ではなかったが、隔絶された地形のおかげでこのハイラルは侵略もなければ交流も少ない。この100年余りの間、為政者も居ないのに放置されていたのが何よりもの証拠だ。
外つ国からの客人などは王女である私でも数えるほどしか会ったことはないし、外つ国の様子も時折もたらされる貴重な進物や書物でしか知る術はない。そんなところに当てなど、いつの間にどうやって作ったのかと首を傾げていると、プルアは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「貴族の中には国の外に伝手があったり、他国の地位を買って逃げたやつらも多かったの覚えてる? 案外そいつらの子孫が生きてるみたいなんだよネ」
「その人たちと連絡が?」
「我が妹ながらしたたかだワ。どれほど使える連中かは分からないけど、今のハイラルに足りない技術とか人的資源を外つ国から連れてきてもらえたらラッキーかなーなんて」
当てと言う割にプルアは肩をすくめて呆れたように首を傾げる。その視線の先は遠い空の向こうへ向けられ、厄災の脅威から我先にと逃げた貴族たちへの憤りで尖っていた。彼女の鋭い気配に釣られるように私も同じ方を見たが、絵筆で乱暴に描いたような巻雲が空の高いところでかすれているのばかりが目に入る。
本当にあの空の向こう側からそんな人たちが戻ってくるのか、それは非常に懐疑的だった。訪いが無いなら無いでもいいと考えていた。自分たちの力でどうにか切り開いていく覚悟はある。それはいい、当然のことだと思う。
ただ、我が身の隣が空白なのが物寂しかった。
リンクが居ない。
無意識のうちに吐き出していた長いため息を、ハッと両手で口を押えて息を飲み込んだが遅い。恐る恐る見た目だけが幼い老練な彼女の方を見ると、にやーっと悪い笑みを浮かべていた。
「なんか国より、リンクの方が気になるみたいネ」
「すいません……」
「いいんじゃない? 今の姫様にはそっちの方がらしい気がするヨ」
しゃがまなければ視線の合わなくなったプルアと手を繋いで、唇を噛む。心配と言えばもちろん心配ではあったが、抱く感情は一概にそれだけではない。むしろ自分の不甲斐なさに気持ちは沈み続けていた。
ゾーラの里から戻ってインパに捜索はお願いしたものの、彼の行方はようとして知れなかった。時々飛んでくるコログたちも言葉を濁し、どうやらリンク自身が居場所を口留めをしている様子。ただ無事だけを教えてくれた。
あれからインパは彼の話をすることをひどく嫌がっていたし、私の方もこの手の話題はインパよりもプルアの方が話しやすい。故郷のカカリコ村に長逗留を決め込んだプルアと連れだって散歩に出るのも、そうした理由からだった。
「100年前の私は本当に何も知らなかったのだと、……忸怩たる思いとはまさにこのことです」
「デリケートなことだから、本人が言わなきゃふつーは気が付かないヨ?」
プルアの言うことはもっともだとは思う、申告が無ければ気が付かないことだった。だが気が付かないことと、彼に対してどう振舞うかはまた別問題だ。
今更ながらに思い出すと、たぶん私はゲルドでイーガ団の襲撃から助けてもらったあの瞬間にきっと恋をしてしまったのだと思う。それ以前は無言の圧があれほど重苦しいと思っていたのに、逆に居なければ落ち着かなくなって、気が付くと彼のことを視線が追っていた。それにクロチェリー平原で封印の力に目覚めた時も、間違いなくリンクをかばおうとした行動が呼び水だった。
恋慕の情の自覚の有無にかかわらず、むしろ自覚が無かったからこそ私はあの頃、一体どんな感情を彼に押し付けていただろうか。決して記憶喪失のつもりはないのに、あまりに無自覚な自分の振る舞いは思い出せない。
ラネール参道の西口まできて、右へ行けばアラブー平野、左へ行けラネール参道中央広場の分かれ道のところで苦し紛れに頭を振った。そんな私にプルアは「そもそも」と一本指を立てる。
「あの時代、高貴な未婚女性に若い男の騎士が付くってこと自体が、もう一種の婚約者候補みたいなところがあったの、姫様分かってた?」
「そうなんですか?」
「あー、そっからかー」
伴侶に興味が無かったと言えば嘘になるが、自由になる事柄ではないことが分かっていてあえて目を逸らしていた。だから驚く振りをして火照りそうになる頬を風で冷やす。
でもプルアはやれやれとでも言わんばかりの苦笑い。私の些細な努力など彼女には見透かされている気がした。
「まぁ普通は逆ヨ? 男の騎士の側が願い出て貴婦人のために戦う~とかであって。姫様は普通の令嬢とは立場が違ってたけど、でも周りから見ても只ならぬ関係って感じだったのは間違いないと思う」
「私とリンクもつまり、いずれ婚約する可能性があると見られていたというわけですか」
「ありていに言えばネ。…………若い娘が『ありてい』などという言葉を使うだろうか。まいっか」
首を傾げるプルアをよそに、私はまた堪えきれずに大きなため息を吐いた。最近ため息ばかり付いている気がする。
もちろんリンクは代々近衛の家系とはいえ、平民出だったからそこまで有力視されていたわけではないだろう。だが国を救った勇者であれば王家への婿入りもやぶさか無しと、父が頭数に入れたとしても不思議はない。
厄災の討伐が無事成された暁には、勇者に姫を褒美として与える。よくあるおとぎ話だが、本人たちの合意さえあればとても幸福な選択肢だったはずだ。
だがそれが実現しないことを彼だけは承知していた。知っていて私の傍に侍る気分とはどんなものだったのか、想像するのはとても難しい。
「経歴、器量、人柄、どれをとってもあいつは、未婚の姫様の隣に置いておいて問題ない人物だと陛下からも判断されていた。よしんば姫様と恋仲になったとしても構わないってネ」
「だとしたら私に対して隠す必要が益々分かりません。王家の姫として世継ぎが絶対に必要な私と、その……子種の望めないリンクとでは実際には結婚なんてできなかった。ならば例え私が想いを寄せたとしても、彼は断るに足る十分な理由があったのでは。隠す必要なんて……」
「なかった? ホント?」
「……えっと、私の感情面を除けば……」
感情面。その言葉を自分で吐き出してからようやく、今の心がいわゆる『失恋』なのだと気が付く。
そう、正しく私はつい先日、100年の恋に破れたところだ。でも恋心は彼が記憶を失う以前から、ずっと熾火のように燃えていた。リンクがそれに気が付かなかったという保証はない。
プルアは道端の小石を蹴りながら、二股の道を右へ、ラネールの方に向かって歩き始めた。
「んじゃあ厳しいこと言うけど、姫様のお付きの騎士が玉無しだって、ひそやかにでも噂が流れていたら? 当時の王家や、力が発現しない姫様にイラついてた人たちは何を想像してたと思う?」
「それは……」
あの頃。私が責を果たさぬ無才の姫と揶揄され、貴族はもちろん城勤めの平民にすら白い目で見られていた頃。
落ち度のすべては私か、あるいは王家へ向いた。それが実際は全く関係のないことであったとしても、人民の抱える不満は支配層へと向かう。
つまり。
「あの当時にこんなうわさが流れていたら、無才の姫の貞操大事のために勇者を傷つけたのかってやり玉に挙げられるのは王家の方だったんじゃない? 年頃の娘がある貴族たちはみんなリンクのこと狙ってたし、それを姫大事で妨害されたと思ったらそりゃー怒るよネ」
「そのために彼は黙っていたと?」
「王妃様がイーガ団に命を奪われた経緯もあるから、姫様には腕の立つ警護が絶対に必要だった。だから姫様と恋仲になっても問題のない騎士か、姫様を傷つける可能性のない騎士が必要だった。その役をあいつが率先して引き受けたか、あるいは押し付けられたか、それは本人にしか分からないけど」
プルアはまだ同じ小石を蹴りながら進んでいく。話をしながら随分器用なことが出来るものだと感心して、私も真似して蹴飛ばした。はしたないけれど、もう見咎める者もいないのだし。
すると小石は見当違いな方向にすっ飛んでいき、ぺちっと大きな葉っぱのうちわではたき落とされた。
誰の仕業かと顔を上げるとコログがムッとしながら、小さな白い蕾のついた草本の前に立ちふさがってコログのうちわを振りかざしている。どうやら私の蹴飛ばした石が花を傷つけてしまいそうだったらしい。
ごめんなさいと口パクで伝えると、コログは腕組みをしてムンっと胸を張った。
「厄災討伐が無事に終わって、姫様との主従関係が解消されるまでは全部黙っていようと思ってたんでショ。何事もなく姫様が別の人と婚約したら、民衆は姫と勇者にロマンスは生まれなかったって思って、いずれ熱が冷める。そこまでのお役目だと思ってたんじゃない?」
「まるで体の良い花守ではありませんか」
「でもそうやって守られていたのは姫様自身ヨ」
目の前のコログは蕾が花開いたあと、きっと花を愛でるのだろう。でも花守は違う。
蜜を吸いに来たタダスズメたちが花を散らさないように、高貴な人たちの花見まで花を守るのが花守の仕事だ。咲き揃うまではずっと傍に付き添ってタダスズメから花を守っているのに、一番いい見ごろの時は貴族たちに場所を譲らされる。花を守る最大の功労者なのに、花を愛でることが出来ない閑職。それが花守だった。
彼もまた、私という花を守るためだけにいい様に使われた花守。御父様が実際には何を思ってリンクを姫付きの騎士に任じたかはもう知りようがない。
だからかえって、悪い想像がずぶずぶと音を立てて沼のように広がっていった。
「では、守り人の居ない花ならば、手折るのは容易いでしょう」
その通りだと頷きかけて、声に聞き覚えのないことに気が付いて顔を跳ね上げる。
「姫様!」
プルアの鋭く叫ぶ声と、同時に目に入ったのは逆さまのシーカーマーク。
周囲で数人のシーカー族の隠密と、真っ赤な忍び装束の曲者が同時に飛び出してきて斬り合い始める。それでようやく、自分が100年経ってもなお狙われ続けていると理解した。
「姫君にはアジトまでご足労願います」
咄嗟に身を翻したが、長い髪を鷲掴みに地面に引き倒された。藻掻こうにも女の細腕では難しい。
でも私には力がある。
右手の甲に未だ感じる聖三角に力を込めれば、悪しき者を退散させることなど容易いはず。それがシーカー族から分かたれたイーガ団に通じるかは分からないが、目くらましぐらいにはなるだろうと右手を握りしめた。
その瞬間、私の右手にプルアの小さな手が掛かり、パシッと払われる。
あっという間の出来事に何をされたのか分からなかった。瞠目して、最も信頼する天才科学者の顔を覗き込む。
――捕まって。
口は確かに、そう言っていた。
見た目にはただの幼い少女が、鋭く周囲を見回して意地悪くニヤリと笑う。あっけにとられたその瞬間、私は後ろから麻袋をバサッとかぶせられた。慌てて抵抗しようにも、がっちり抱え込まれてどこかへと運ばれていく。次第に怒号と剣のぶつかり合う音が遠のいていった。
どうしてプルアがそんなことを言ったのか?
混乱していながらも自分を助けてくれる人のことばかりを考えていた。こんな時、リンクが来てくれたら。あるいはこの瞬間にも彼が飛び出してきて助けてくれないだろうかと、遥か昔のカラカラバザールを思い出す。
しかしあの時のように助けに来てくれる彼の姿は無い。
一度記憶を失ったリンクは、もはや花守ではなくなっていた。