花守りとオオカミナスビ - 6/18

 

「うわわっ」

 

 嫌な夢。

 勝ったからいいけど、ハイラル城の本丸でのやり取りは本当に肝が冷えた。だから今でもこうして時々夢を見る。もう少しガキだったら、たぶんおしっこちびってた。

 何となく「こっちかな~?」と進んでいった先に、妙に強いヤツがたくさん出てきて、見上げたら一番の親玉が居た。正直シャレにならんとあの時ほど軽率な足取りを後悔したことはない。

 というか、親玉が寝ているなら『寝てます』ってちゃんと書いておいて欲しい。お休み中だと知っていればうるさく正面玄関をノックなどせず、ちゃんと上から忍び寄って繭の中でまどろんでいるうちからグッサグサに刺してやったのに。

 

「でも終わったもんな。ふわふわの寝床でしあわ……………せ? …………え」

 

 俺は素っ裸だった。

 パンツすら履いていなくて、本当に生まれたままの姿で、温かい寝床に横に寄りかかって寝ていた。

 でも一番驚いたのは、その温かい寝床だと思っていたのが狼の毛皮だったことだ。しかも生きてるやつ。どおりで温かいわけだよ。

 

「えっと…………」

 

 どうやら酒に酔って全部脱いだ挙句、俺は狼と一緒に一晩を過ごしたらしい。何があったのかは全く記憶に無い。しかしながら事実として、鉄色くろがねいろの狼にくるまっている。

 狼は大きな頭を持ち上げると、ずいぶんと気分を害した様子で俺が顔を埋めていた辺りを睨む。見事な毛皮がよだれでべとべとになっていた。

 

「ああーーーーっ! ごめんなさいごめんなさい、食べないで!」

『あ、お目覚めでスか?』

「ころぐーーー!!! おおかみっ! 狼が!!」

 

 涙目になりながら狼の脇腹から飛び退いて、洞穴にトコトコ入ってきた旅の供だったコログに縋りついた。

 

「駄目だ逃げよう! 食べられちゃう!」

『落ち着いてくださイ、この方はいいヒトでス』

「人?! 人じゃなくって狼でしょ?!」

『狼の形はしていますが、このヒトはだいじょうぶでス。ゆうしゃサマのこと、守ってくれたんでスよ』

「へ……? 守ってくれた……?」

 

 よく見と、俺が寝こけていたのは二枚の岩盤がちょうど合わさってできた室のような場所で、湿った土の地面の上には乾いた葉っぱがわざわざ敷き詰められていた。狼はその真ん中に陣取って俺の顔をじっと見つめているのだが、それが妙に小バカにしているみたいな表情に見える。

 まじまじと観察すると狼は両耳に青い耳飾りを、左の前足には黒ずんだ金属の鎖が付いていた。もしかしたら誰かに飼われていたのが脱走したのかもしれない。随分と人馴れしている様子だ。

 恐る恐る近づいて手を伸ばすと、狼は「フンッ」と偉そうなため息を吐いたが、大人しく撫でさせてくれた。首周りに見事なたてがみを備え、額には目にも見える白い模様。森のヌシみたいだ、と感嘆のため息が漏れた。

 

「あの変な森から、もしかして出してくれたのって」

『そこは覚えてるんでスか』

「うーん、なんとなく……?」

 

 首を傾げると、狼は太くてたくましい尻尾を物言いたげに一回べしっと振り下ろした。どうやら俺の予想は当たっていたらしい。

 

「ありがとう、ございます……おかげで助かりました」

 

 今思い出しても、あの黄昏色をした森は寒気がした。人が立ち入ってはならない何かとの境界線に、酔った拍子に不用意に近づいていた。

 一本道の先に座っていたこの狼を見て、最初は食い殺されると思った。記憶はそこで見事に途切れている。

 だがその実、この狼がたぶん境界を守る番人だったのだろう。何しろ青い目の狼なんて初めて見る。心優しい番人でよかった。

 

『ゆうしゃサマ、ともかく服を着てくださイ。全部集めてくるの大変だったんでスよ……』

「コログもごめんありがと、お酒はしばらくやめておくよ。俺、お酒に弱いみたい」

『飲み方の問題でス』

 

 味も飲むのも楽しいだけに惜しいけれど、酔っぱらって服を脱ぐのはさすがにダメだと思った。ましてやパンツまで脱ぐのはよっぽどダメだ。

 だってそんなことしたら、姫様に嫌われちゃう。

 

「……ッ」

『二日酔いでスね、お水どうゾ』

「うーん……?」

 

 気持ち悪さはあんまりないが、頭がズンと重たかった。あと食欲も微妙。ところが体の不調よりも、また不意に思い出した姫様に嫌われたくないという感情の方が重たい。

 一体何なんだろうなぁと思いながらコログがかき集めてくれた服に袖を通す。差し出された葉っぱで出来たお皿には水がたっぷり入っていて、飲むと頭がすっきりした。一息ついてから狼に別れを告げ、室から出るとすでに日は高く昇っていた。低い方へ歩いて行くとすぐに平原外れの馬宿の裏手に出る。案外近いところで寝ていたらしい。

 裏山で酔っぱらって寝てたと言ったら、昨晩俺から酒杯を取り上げた馬宿の若いお兄さんは呆れられた。もう飲むまいと決意し、せっかく高いお金を出して買ったお酒をお兄さんに進呈した。すると代わりに秘蔵の極上ケモノ肉をくれた。お兄さんはイイ人だ。

 

「装備全部預けておいてよかった」

『で、次はどこに行くんでスか?』

 

 馬宿を出て、さらに西へ進もうかと思ったのだが、川と高い山に阻まれて南か北へしか行けない。北へ行けばタバンタ、南へ行けばゲルド砂漠。

 また木の枝でも倒そうかとちょうどいい枝を探していると、斜面の高いところあの狼の姿が見えた。見送りに来てくれたのかと思って手を振ると狼は走り出す。一直線に俺のところへ向かってきた。

 

「駄目だよ、みんな怖がるから! 白馬も怖がる!」

 

 ところがズボっと、勢いつけて狼は俺の足の間に鼻先を突っ込んだ。そのまま全力で昨日まで歩いてきた道の方へ、つまり東の方へと押す。

 白馬も、肉食獣なんか見えてないとばかりに、スンとすまし顔。

 

「ちょ、おまっ!」

 

 バランスを崩してあおむけに転がると、狼はしめたとばかりに首根っこを咥えてずるずると東に向かって歩き出した。

 無駄に体躯が大きく力が強いので、小柄な俺ぐらいなら引きずるだけの力はあるらしい。

 

「ちょっと、やめてよ! 何すんの!」

「今度は独り相撲ッスか?」

 

 馬宿から箒を持って出てきた従業員のお兄さんが、転がった俺を見て笑う。それで分かった。

 この狼も他の人には見えていない。俺にしか見えないやつだ。

 

「お前もコログと同じようなヤツなの……?」

 

 咥えられた襟首に生暖かい湿り気を感じるのに、誰も何も言わない。たぶん影すら見えていなかった。

 うわぁと意味のない声を出して慌てて立ち上がると、なるべく普通の人に見えるように歩き出した。東へ、来た道を戻る。

 そっち側へ歩けば、狼もコログも何も文句は言わず、狼は静かに俺の横についてきた。時折、青い瞳がチラチラとこちらを伺ってくるのが、どうしても威圧されている気分になる。

 十分に馬宿から離れたところで脇道にそれるとまた嫌な顔をされたが、「ちょっと話がしたい」と言うと素直についてきた。

 

「あの、君ってもしかして、女神様の遣いとかそういう系の偉い狼なの?」

 

 しゃがんで目線を合わせると、狼は人の言葉を解しているのか小さく『ワフッ』と一つ返事をする。

 

「じゃあもしかして助けてくれたのは、姫様のところに戻れってこと……?」

『ワンッ』

「犬かよ」

『グルルル』

『助けてくれた方に犬とは酷いですヨ、ゆうしゃサマ』

「そういうコログだって背中に乗せてもらってるじゃん」

『ちゃんとお伺いしまシた。ゆうしゃサマの肩より乗り心地いいでス』

 

 コログって案外薄情なのかも。はぁと大きく溜息をついた。

 お酒を飲んでふわふわになったから出てきた本音ではあったが、俺はすでに記憶はあんまり取り戻したくないと思っていた。何となく嫌ぁな感じがする。たぶん野生の勘。

 でも姫様のところへ戻るとなると、たぶん記憶を取り戻して姫様の騎士に戻らなきゃいけないことになる。

 姫様の元に戻るのが嫌なんじゃなくて、記憶を戻すのが不安で怖い。

 それでもこの狼、恐らく女神の遣いは、過去の自分と向き合うようにと叱咤しに来たのだ。勇者ならちゃんと勇気を出せとでも言いたげな瞳は、俺の瞳よりもずっと澄んだ綺麗な青。心の弱いところを見透かされそうで、そっと視線を逸らす。

 

「俺、思い出すのが怖いんだ、自分が自分じゃなくなっちゃうみたいで。それでも姫様のところに戻れって言うの?」

『ワンッ』

「……じゃあ、一緒についてきてくれる?」

 

 ふわふわの首筋をぎゅっと両手で掻き抱くと、狼は少しだけ目を丸くしてからまたフンッと鼻を鳴らした。

 言葉は分からないけど、何となく『仕方がない』って感じの表情。俺が顔を上げたらベロンと鼻先をひと舐めされた。こんなに温かいのに人には見えないなんて不思議だ。

 でも姫様にはきっと、この狼も見えるんだと思う。会わせてあげたいなと思うけど驚くだろうからちゃんと紹介しなければ、と思ったところで名前が無いと不便だなぁと気が付いた。

 

「ありがと。でも狼って呼ぶのもナンだから、そうだなぁ。“黄昏さん”って呼んでもいい?」

『ワフッ』

『コログには名前つけてくれないんでスか?』

「コログは、コログでいいじゃん」

『黄昏さんばっかりずるいでス』

 

 こうして出発したときには1人だったのが、引き返すころには2人も仲間ができていた。白馬を入れたら3人。ちょっぴり嬉しい。

 他のハイリア人だと気兼ねするところも、コログと黄昏さんは明らかに人ならざる者だったので居心地は良かった。

 やっぱり俺、人間らしさより他のところが際立ってるみたい。

 のんびり白馬に揺られてリバーサイド馬宿まで戻ってきたら、ゴエタフさんにお酒の失敗を笑われた。また一泊させてもらったあと、サハスーラ平原をかき分けてカカリコ村へと戻っていく。

 ここを登り切ったら姫様と合わなければならない。

 簡単なことだけど、とても勇気のいることだった。たぶん自分で歩いていたら足が止まっていた。でも白馬は、ゆっくりとだが着実に登っていく。そのぶん噛み締めてしまう唇から血の味を舐め取る。

 

「黄昏さん、ちゃんと隣に居てね」

『コログも居まスよ』

 

 手を伸ばすと、湿った鼻先で応えてくれた。黄昏さんの背中ではコログが赤い実のついた枝をフリフリ、応援してくれている。

 

「二人とも、ありがと」

 

 覚悟を決めるしかない、たぶん俺は過去になんかあった。思い出さない方がたぶん気楽に生きられるけど、俺はおそらく安穏と生きられる星の下には生まれ付いていない。

 だから戻るんだ。

 と、相当に気張っていたところで、予想外の大声に背中を叩かれて驚いた。

 

「そこの君! ハイリア人の使者かッ?!」

 

 ゾーラ族の一団だった。先頭をこちらへ向かって来るのは真っ赤なヒレのゾーラの巨漢。それが俺を見つけるや否やラネール湿地の方から、水しぶきを上げて猛然と走ってくるではないか。

 遠めに見ても銀の装飾がキラキラしているから偉い人なんだろう。だとしたら下馬するのが礼儀かなと、その場で飛び降りた。敵ではないだろうが、味方とも思えず、何だろうと身構える。

 

「なるほど、その身のこなし、全身方漂う只者ではないオーラ! 君がハイリア人の使者なんだな!」

「へ? いや、ちが……」

 

 背もデカければ声もデカい。使者って何のこと?と聞き返す前に彼が次の言葉を投げつけてくるので、こちらから口をはさむ隙間が無い。

 でもどうやら黄昏さんもコログも見えていないらしくて、見つめているのは俺だけだった。

 

「名を聞かせてくれ!!」

「……リンク」

「リンクか! 良い名だな! どこかで聞いたことがある気もするが……、とにかく良い名だゾ!」

「ありがとう……?」

 

 褒められたから嬉しいけれど、名前褒められたのはたぶん初めてかもしれない。

 で。

 そんなことはさておき、一体この人は何なんだろう。何の用があって俺に声を掛けたんだと首を傾げていると、大柄な彼は手を伸ばして有無を言わさず俺を小脇に抱えた。

 

「よしっ善は急げ! 大事なお客様はこのシドが直接お連れするんだゾ!」

「ちょっとまって、どこ行くの?」

「もちろんゾーラの里だ!」

「俺はカカリコ村に用事が……」

「ははは! 安心してくれ山道よりも安全だ、水は少し冷たいがゾーラ川を遡ればあっという間だゾっ!」

 

 たぶん人違いです。

 と、遮る前に、シドと名乗った大柄なゾーラ族は俺を抱えてラネール湿地を走り出す。水しぶき何て何のその、さすがゾーラ族。水があるところはめちゃくちゃ速い。途中まで並走してくれていた黄昏さんですら、水の深いところに阻まれてはぐれてしまった。

 でも本気でちょっと待って欲しい、使者とか何の話なのか分からない。

 聞こうとして何度も口を開けるのだが、爆速で目的地へ泳ぐシドは話を聞かないし、飛沫に目も口も開けていられない。挙句、ゾーラ川を遡り始めたらこっちは息継ぎに必死で、何もできなかった。視界のあちらこちらで、水流に弾かれて破裂する水オクタを何度も見た。シドの泳ぎはめっぽう強くて、暴れて落ちたら俺も危ない。

 大人しく連行されていった先は、青くて静かな里だった。

 

「はははははっ! あっという間だっただろう、ようこそ我がゾーラの里へ!」

「無茶苦茶すぎる……」

 

 何となく連れ去られながら思ったけど、コレってもしかして本来は姫様がやられることだったのかもしれないと寒気がした。だったら俺が犠牲になって正解だ、ゾーラ族の移動方法はハイリア人には合わない。

 ゼルダ様のことだから、ハイラルの各種族と連携をとかなんとか言って、さっそく交渉事を始めたんじゃないだろうか。思い出した限りの記憶では、あの方はクソが付くほどの真面目で一本気な性格だった。

 

「ねぇ、あのさ、もしかしてシドが探してたのって、ハイラル王家の使者……?」

「もちろんだゾ! さぁ、キングゾーラにはすでに話は通してある。こちらへきてくれ、紹介するゾ」

「王子、その者がハイリア人の使者ですゾラ?」

 

 ハイリア人だけど使者ではないんだ、と言おうとして鼻から入った水に咽せていると、しわがれた声の主がペタペタと歩いてきて俺の隣にピタッと止まる。緑色のしわしわのおじいちゃんゾーラが、信じられない顔で俺の顔を覗き込んでいた。

 

「こ、こやつは……」

「おおっムズリか。カカリコ村の前でお会いした、ゼルダ殿からの使いの者だゾ!」

「いや、悪いけど、俺は違うって……」

 

 ちゃんと話を聞いて欲しいけれど、ずぶ濡れの顔が気持ち悪くて両手で擦り上げる。ところが拭き上げたばかりの顔を、濡れたしわしわの手で鷲掴みにされた。

 青く静かなゾーラの里で、ムズリというそのおじいちゃんゾーラは手が震えるほど、たぶん怒っていた。でも怒られる理由が分からない。

 

「何……?」

「貴様がハイリア王家の使者であるとは、ゾーラも舐められたものゾラ……! こやつはハイリア人英傑のリンク、見間違えようもないゾラ。100年前、ミファー様が帰らぬ人となったのに、よくもその顔を出せたものゾラ!」

 

 ミファー、英傑、ゾーラ。

 単語ばかりが頭の中にコロコロと転がって、聞き覚えが無いのに懐かしくなってまた心に不穏な気配が忍び寄る。

 記憶を思い出すときと同じだが、遥かに強い不快感に思わず口元を抑えた。

 

「ミファー……って……だれ…………?」

「誰だと……?! 忘れたとは言わせんゾラ、ミファー様に詫びの一つでもするゾラ!」

 

 年老いた割に強い腕に引きずられ、俺はよろよろと里の中央まで連れていかれた。そこには槍を持って優しく微笑む女性のゾーラ族の石像が、夜光石の光に包まれている。

 その表情を見た途端、ぷつっと脳味噌の表面に何かが湧き出してきた。

 強烈な自己嫌悪と劣弱な意識。それらを隠そうと必死になっている俺に、彼女は全てを知っていても優しくしてくれた。でも俺は隠し事を知られているからこそ、彼女の向ける気持ちは見て見ぬ振りをしていた。

 分かっていたけど、知らんぷりをして諦めてくれるのを待ってた。

 

「ぁ、あ……や、だ…………」

 

 瞬きを忘れた目からボロボロと零れ落ちていくものがあった。

 無意識に手を伸ばしたが、寄り添ってくれる毛皮がどこにも見当たらない。一緒に居てくれるって約束したのに、シドに振り切られてから黄昏さんもコログも姿が見えない。

 嫌な記憶はこんこんと湧き出し、頭の中が不協和音でかき乱された。そんな状況でも明確に一つ分かることがある。

 ミファーは優しかった、だから駄目だった。

 

「おれは、駄目だった、んだ……ミファー……」

「何を言ってるゾラ、ミファー様に謝れゾラ!」

「ムズリ! リンクが確かに100年前の英傑だったとしても、その仕打ちは酷いゾ!」

「ミファー様が亡くなられたのに、ハイラル王家の姫や英傑ばかりが生きていては、我慢がならんゾラ!」

 

 シドとムズリが言い争う声が遠くで聞こえたが、意味が理解できるほど俺の意識は外に向いていなかった。意識は内側へ、赤いヒレの彼女の幻を見ていた。

 蘇った記憶の中で、幼馴染のミファーは俺の腕の傷を癒しながら穏やかに話をしてくれていた。でも俺の方は、なるべく表情を変えないように、それだけに集中していた。まかり間違っても、彼女を期待させるような反応をしないように、細心の注意を払っていた。

 

『貴方を守りたいから』

 

 重たい言葉に潰れそうになっても必死に耐える。

 ミファーは震える手を握りしめて、本当に伝えたい言葉を飲み込み続ける。

 隣に座った俺は、何も言わないで欲しいと必死で願い続けていた。どうかそのまま変わらず幼馴染のままで居て欲しいと、素知らぬ顔をし続けた。

 

『厄災ガノンとの戦いが終わったら、そうしたら、子供の頃みたいに……また……』

 

 頼むから拒否をしなければならないようなことだけは言わないで。優しいミファーだから拒絶はしたくない。

 願いが通じたのか、続いた言葉は『ここへ遊びに来てくれる?』だった。

 俺は一つ頷くだけ。それで全部。

 

「リンク!」

 

 頭の中が真っ白になりながら振り向くと、そこには金色の光が見えた。思わず指を伸ばす。

 あの暖かい光は俺を守ってくれると思った。

 

「ひめ、さま……」

「リンク、大丈夫ですか!」

 

 崩れ落ちる間際に温かな、ゾーラ族ではない手が俺の指先に触れた。同時にフワッと毛並みの気配がして、姫様と一緒に黄昏さんもいた。息を切らしているところを見ると、どうやら黄昏さんが姫様を呼んで来てくれたみたいだった。

 

「おれ、姫様、おれ……」

「落ち着いて、大丈夫です。記憶が蘇りかけているんですね?」

「ゼルダ姫! これは一体どういうことゾラ?! 復興のための使者がコレとは、ゾーラ族を侮っておいでか!」

「どうやら行き違いがあったようなのでお詫びします。でも今は彼の状態を優先させてください! 彼は記憶の一切を失っているのです!」

 

 姫様の気迫にさすがのムズリも一歩引く。周りのゾーラ族も戸惑っていて、シドだけが姫様と同じ距離で、狼狽して声の出ない俺に寄り添ってくれていた。

 はっはっと短く息を継ぎながら、何とか声を出そうとする。でもできない。

 呼吸が上手くできない。

 

「リンク落ち着いて、ゆっくり呼吸をして」

「だ、だめ、なん……」

 

 姫様との記憶はまだ上手く思い出せてない。

 でも姫様が俺のことを憎からず想ってくれていたことは、半日一緒にいただけでも気がついていた。でも彼女の想いには応えてはならないとも、記憶の底の方で本能が吠えていた。だから散々言い訳して俺は逃げた。

 同じ理屈で、ミファーの気持ちにも気が付いていて、ずっと朴念仁の振りをしていた。ミファーの気持ちが早く別の方へ向いて欲しいと願い続けていた。求められたら拒絶するしかないから、優しい彼女をこれ以上悲しませたくなくて気が付かない振りをしていた。

 それが理由ごと、全部蘇ってくる。

 

「俺は、だめ、なんです……」

「何がですか?」

 

 言えるわけない、自分が玉無しだなんて。

 ずっと母に言われるがまま、女の子として過ごしていただなんて、言えない。

 自分は姫様にもミファーにも釣り合うような人間じゃないから、向けられていた情をずっと無視してたんです、なんて。

 俺には到底言えなかった。