花守りとオオカミナスビ - 3/18

 

「私を、覚えていますか」

 

 振り返り、問う。

 でも彼は見覚えのある精悍な表情を、見覚えのない曖昧な笑みで崩す。青い視線がスっと横へ逃げて行った。

 

「ごめん、わかんないんだ」

 

 回生の祠で目覚めた時から彼の動向については意識の手を伸ばしていたので、その答えは予想の範疇だった。とはいえ、落胆を完全に抑えることは難しい。

 もちろん彼が来てくれることをこの100年、疑ったことは無い。それでもあえて言葉で表わすならば、たぶん『生きてまた会えるとは思ってもみなかった』というところ。

 だから喜びで胸の内が溢れているけれど、隠しようのない悲しみもまた確かにあった。

 わずかな時間でも記憶のない彼を見ていれば分かる、リンクは生来とても素直な人だ。以前は職務のためにと凍てついた仮面を被り、必要なだけの嘘を使っていたのかもしれないが、今は嘘を吐く器用さも必要もない。

 

「その、俺、えっと……俺、リンク。って、名前はあなたが教えてくれたんだったけ。えっと、その、……何話せばいいかよく分かんないな」

 

 健気に取り繕おうとする素振りがまるで別人に見えた。寂しい気はする。それでもこれが本来の彼の姿であれば、歩み寄るべきは私の方。気落ちはむしろ彼に失礼よ、と自分に言い聞かせた。

 今のリンクの手を取ろう。

 そう思って右足を一歩前に出す。

 ところが緊張の解けた体から、力がすとんっと抜けて前のめりになった。雨あがりの草原に、頭から倒れ込む。

 

「きゃっ」

「大丈夫!?」

 

 倒れる寸前のところで、両脇にぐいっと無骨な腕が入り込んできた。無遠慮に抱きかかえられて目をしばたたく間に、草の露が付いた膝下を手荒にパシパシと叩かれる。優しさは感じるが、物腰はひどく大雑把。

 やはり、リンクには記憶が無いらしい。

 寸足らずのボロボロの服を着て、盾も剣もどこで拾ってきたのか錆びたものを背負っていた。光の弓がいっそ浮いて見えるほど。

 よくこんな装備で厄災に打ち勝てたものだと、変なところで彼の勇者らしさに感心してしまう。それでも抱きとめてくれた手は温かく、長らく囚われていた自分の体がようやく女神から人間のそれに戻るのを感じた。

 

「ありがとう、リンク」

 

 無理にでも口角を引き上げないといけないと思ったが、やっぱり目尻からは涙が零れてしまった。するとリンクは一瞬びくっとしてから、大きな犬みたいにシュンと肩を落とす。

 

「ごめん。思い出してから来た方がよかったのかもしれないんだけど、なんか体が勝手に動いてきちゃったんだ」

「いいえ、とっても嬉しいの」

 

 9割の本当と1割の嘘ならば、嬉しいと言っても罰は当たるまい。にこりと笑って見せると、リンクは「ならよかった」と私を抱きかかえた。

 

「少し休もう。確かあっちに水が溜まってる場所があった気がする」

 

 有無を言わさず馬の背に押し上げられ、リンクもまたひょいと後ろへ乗る。栗毛に斑の馬には鞍も手綱もなく、歩き出すと疲れ切った体がぐわんぐわんと揺れた。力が入らない。見かねたリンクが、すぐに後ろから抱きかかえるように支えてくれた。

 濃く、彼の匂いがする。汗と血と、それから煙の匂いがほんのりと。

 それだけで彼がどれほど急いで来たのか、察するに余りある。きっと不眠不休で来てくれたのだろう、焚火の香りがこんなにも遠い。

 そう頭で理解はできても、何と声を掛けたらいいのか迷う。記憶のない彼と何をどう話したら、へこませずに会話できるのか自信が無い。

 そのうちに、連れていかれたのは崩れかけた、かつての式典場だった。

 

「あんまり綺麗な水じゃないけど、顔拭くぐらいなら大丈夫かな。少しなんか食べて、休んだらカカリコ村に行こう」

 

 ポーチの中から適当な手ぬぐいを取り出して、溜まった雨水の綺麗なところに浸す。ぎゅっと絞った手ぬぐいをどうぞを手渡されて、私はしばらく迷った。

 この泥はすべて、遥か昔に彼と共に逃げ惑ったときに付いたものだ。こびりついて白くカサカサになってもまだ、名残惜しくへばりついている。

 その汚れの理由を今のリンクは覚えてもいないし、ただ綺麗にしたらと優しさだけで言った。

 

――そうです。全部、落としてしまいましょう。

 

 それでもうお終いにしよう、のことを思って哀しむのは。生きてまた巡り合えたのだから、記憶が無いことぐらい些末なことだ。

 うん。そうしよう。

 ぐいっと力を込めて手ぬぐいで腕や足を拭う。荒々しい布目が肌にちょっと痛い。

 でもこれで未練なく今のリンクと向きあえるはずと顔を上げると、ところが彼は焚火の準備をする手を止めて呆然としていた。

 

「リンク?」

 

 手の中から火打ち石が落ちて硬い音がした。

 青い瞳が丸く見開かれている。

 

「大丈夫ですか、リンク!」

「え、あ……」

 

 慌てて駆け寄ると、彼の蒼穹のような瞳はわずかに怯えを帯びて固まっていた。

 微動だにしない頭に、トンボが一匹止まる。それでも彼は困惑したまま動けなくなっていた。

 

「なんか、……なんかそこまで、出てきて……」

「どかしたのですか、いったい何が」

「わかんない……俺、どう……」

 

 あれほど力強く弓弦を引いていた指で、リンクは小さく震えながら顔を覆う。どうしたのと問いかけても、ゆるゆると首を横に振るだけ。

 何をしてあげたらいいのか分からず視線を彷徨わせていると、足元のひび割れた石の地面に刻まれた聖三角の文様が目に飛び込んできた。

 そうだった。ここはその昔、仮初とはいえ儀式をした場所。

 

「少しシーカーストーンを借りますよ」

 

 半ば奪うようにしてリンクの腰にあったシーカーストーンを手に取ると、あれ・・はどこから見るのだったかしらと懐かしい操作盤に触れた。

 人間の記憶は案外曖昧なものだ。リンクが全てを忘れてしまったことに落胆した私自身、彼のためにと残した自分の痕跡を忘れかけていた。

 

「あなたの記憶が失われたときのために、思い出すきっかけになりそうなウツシエを12枚保存しておいたのです。その1か所が確かここ、式典場だったはず」

「ウツシエ?」

「ウツシエというのは、シーカーストーンで見られる画像のことです。……でも入っていないみたい。データが欠損してしまったのかしら」

 

 せっかくの準備しておいた策も、見られないのでは意味がない。プルアやロベリーに頼めばどうにかなるかもしれないが、彼に見せたいのは今。ところがいくら操作しても、私の分かる範囲ではシーカーストーンはデータを再生してくれなかった。

 場所覚えておいてもらって、あとからウツシエを見てから訪れるしかないかと、シーカーストーンから顔を上げる。

 しかしリンクは眉根をひそめて、こめかみを抑えていた。

 

「いや、うん。ここ、確かになんか覚えがある……」

「無理はしないでください」

「うん……えっと、あのさ。変なこと聞くけど、あなたは、俺のこと……嫌いだったの?」

 

 瞳の青がわずかに濃くなった。

 その様子を見て、はっと息を飲む。ここで思い出すであろう記憶はおそらく、私が彼のことを最も苦手としていた時期のことだ。それがどうして、身を挺してまで守ることになったのかなど、今の彼には想像もつかないに違いない。当時の私だって、彼のことをこんなに大切に思うようになるなんて想像もしてなかった。

 でもこれからは隣に居られるのだから、私自身がちゃんと自分で説明できる。考えようによっては、とても幸運なことに思えた。

 不安そうな青い瞳を覗き見て、首を横に振る。

 

「いいえ、嫌いだったのではありません。最初はただ、苦手だったんです」

「苦手?」

「あなたはとても優秀な騎士で、対する私はとても不出来な姫巫女でした。それが原因で、一方的に苦手意識を持っていたんです。ごめんなさい、思い出したのがあの時のことでは困惑するのは当然ですよね」

 

 あたりは静まり返り、平原の方からゆるやかな風が吹いてくる。あの儀式のときも同じようにゆるい風に頬を撫でられていた。

 でも当時の私にはそんなことを感じる余裕もなく、必死に生きているつもりで見当違いな方に向けてひた走っていた。今思えば滑稽なことだが、当時は死に物狂いだった。

 しかし静かに聞いていたリンクは、明らかに戸惑って首を傾げる。

 

「いまは? 本当に俺が助けに来てよかったの?」

 

 これから端々で思い出す記憶に、こうして振り回されるのも、あるいは可哀そうなことなのかもしれない。思い出せない方が彼のためと感じるような記憶もある。

 だったら無理に思い出せなくてもいい。ただ思い出せたことに関しては、出来る限り言葉を尽くして説明しよう。

 心に決めると、びっきりの笑顔を頑張って作った。

 

「ええ、あなたに来て欲しかった」

 

 リンクはグズっと鼻をすすり上げ、ふうと大きく溜息をつく。今度は照れ隠しみたいに視線が空の方へと逃げて行った。

 

「そっか。ならまぁ、よかった」

 

 それからハイラル城の城門まで一度戻る時間を貰った。亡くなった御父様や英傑たちのために祈りを捧げる。振り仰いだ蒼天に、青白い気配が無事に消えていったような気がした。

 その後、また裸の馬に乗せられて半日ほど掛けてカカリコ村に向かう。道中、今のリンクは私の知っている彼とは全く違う様子で驚いた。

 まず、それなりに喋るという、その事実。

 確かに100年前の彼はあまりにも寡黙すぎた。だとしても、ただの無駄話が成立することに驚愕してしまう。

 なにより驚いたのが、喋らずとも表情で何を考えているのかおおよそ見当がついてしまうということ。何か言いたそうに視線を彷徨わせていることもあれば、答えたくないことにはサッと視線を逸らしてしまう。耳の先まで雄弁な様に、鉄面皮と呼ばれていた面影はもはやない。

 回生の時が彼を何者にしたのか、もしくはこれが彼の本来の姿なのか、嬉しいことより困惑の方がまさった。たった半日の短い間にその落差をまざまざと見せつけられ、少し頭を整理する時間が欲しくなって、こちらが口を閉じてしまう。

 

「誰か人がこっち見てる、2人だ」

 

 ぼーっと考え事をしていた頭に、少し緊張したリンクの声が飛び込んでくる。

 道のないゆるい斜面を登っていた時だった。

 

「この先がカカリコ村のはずですから、もしかしたらシーカー族かもしれません」

 

 目の良い彼は遥か遠くから、村へと続く切通から人が出てくるのが見えたらしい。顔を見合わせて、馬の足を急かす。

 リンクが「おーい!」と叫ぶと、おけさ笠をかぶった人影が2人、飛ぶように近寄ってきた。白い髪に赤い瞳、間違いなくシーカー族だ。見知った顔ではなかったが、その姿は無性に安心させられた。

 

「そのお姿、もしや姫巫女様と、英傑様でございますか」

「インパは無事ですか、ゼルダが戻ってきたと言えば分かるはずです」

 

 壮年のシーカー族の片割れは、先に村へ知らせに走って行った。もう1人に付き添われ、私とリンクも後を追う。

 早くインパに会いたい。彼女もまた、100年という長い時を待たせてしまった1人だ。急く心に落ち着くようにと言い聞かせ、懐かしい村の中を進んでいくと人だかりができていた。

 その中央で小さな老女が肩を震わせていた。

 

「姫様っ! よくぞご無事で……」

「インパ!」

 

 馬から滑り降りて駆け寄ると、間違いなく額に見覚えのある青いシーカーマークがある。あのインパがこんなにも老いてしまうなんて、彼女を待たせた長い月日を思うとめまいがするようだった。何を言っても彼女には報いることが出来る気がしない。

 再び会えた喜びに、声を失って抱き合ってむせび泣く。

 随分と歳を隔ててしまったかつての腹心に、でもこれからは毎日会えるのだと思うと自然と口元が綻んだ。

 とても嬉しい。

 ようやくこれで、私は『ゼルダ』としての役目を全うすることができた。多くの者を失い、長い時を費やし、決して良い出来ではなかった。これからも、後悔しない日は無いと思う。しかし100年止まっていたハイラルの歩みを、進めることができる。

 インパとリンクと、一緒に。

 胸いっぱいのありがとうと共にリンクを振り返る。ところが彼はニカっと笑ってひらりと右手を振った。

 

「よかった。じゃあ、俺そろそろ行くね」

 

 ピシリと何かがひび割れる音を聞いた。

 

「何を言っておる其方、リンクであろう?」

「うん? 確かにリンクだけど」

 

 しわがれたインパの困惑の声に、わずかに怒気がこもる。慌てて、今の彼には一切の記憶が無いことを説明したが、それでも彼女が納得する気配は無かった。

 対するリンクも、悪気なくきょとんとして馬の首を搔いている。

 

「だって、俺の役目ってゼルダ姫を助けることなんでしょ?」

「それはそうじゃが、姫様を放り出すとは正気か!」

「人聞きの悪いこと言わないでよ。だって台地でおじいさんが、あ、えっと王様? 王様から聞いたのは、100年間囚われているお姫様を助けろってことだけだったよ?」

「いや、しかしじゃ」

 

 尚も食い下がろうとするインパの言葉も歯切れが悪い。なぜなら、彼は別に可笑しなことを言っているわけではないからだ。

 助けた、届けた、さようなら。

 間違っていない。

 間違いではないけれど、でもまさか彼が、私の元から自分の意思で去ろうとするなどとは、考えてもみなかった。

 

「そう、ですけど、でもリンク、あなただって疲れているでしょうから」

「それがあんまり疲れてないんだよね、眠くもないし。祠でずっと寝てたからかも」

 

 待って欲しいのに、引き留める言葉がうまく出てこない。焦る頭の中に、赤い鳴子の音がカラカラと反響する。

 

「でも……」

 

 記憶のないリンクにとっては、ゼルダ姫には助ける以上の意味は無い。魔物に襲われている旅人を助けることと、厄災に囚われた私を助けることに何の差異も無かった。

 恐ろしいほど、確かに彼は勇者だった。

 困っている人がいたら助ける、違ったのはおそらく難易度だけだ。だから安全が確認出来たら関係はそこまで。

 道理として間違いではないどころか、褒美を求めないだけ善人ですらある。今の私には彼に与えられる地位も褒美も持ち合わせていないのも痛い。

 それこそ、お人よしと笑われるほど、彼はすでに優しさを見せてくれた。これ以上引き留めてなんとする。

 ……と、理由も理屈も分かる。でも当然、私の感情が上手く追いつかない。

 それではまるで、私の助けにはなってくれないような。そんなことよりも彼が、もういなくなってしまうような。

 

「お役目果たせてよかったよ、じゃあね。ばいばい」

 

 立ち尽くす私たちを置いて、リンクはひらりと馬に跨った。器用にたてがみを引っ張って、軽快な馬の足音が規則正しく村の外へと去ってしまう。

 その前に、彼を引き留めたい。

 でもどうやって? どうやって彼を、まだ自分に縛り付けようと言うの。

 無茶を通そうとしているのは自分だと分かっていても声を張り上げた。

 

「どこへ!」

 

 馬の脚が止まった。

 

「一体どこへ行くのですか……?」

 

 馬上の人影は麦藁色の頭をカリカリと掻いて首をかしげる。

 十分に考え込んでから、ちらりとこちらを振り向いた。 

 

「さっきみたいに自分の記憶を探してみようかな」

「ならばせめてシーカーストーンを直す目途を立ててからにしませんか? そうしたら記憶が探しやすくなります」

「そうじゃ、プルアならばハテノ村におる。姫様とともにプルアのもとへ赴くというのはどうじゃ」

 

 インパのありがたい提案に、間髪入れずに頷いた。

 今ここでは引き留めるだけで十分。そのあと話をしていくうちに気持ちが変わるかもしれない。いいや、御託などもうどうでもいい、ともかく、リンクがまた手の届かないところへ行ってしまうのを止めたい。

 彼が自分の元を去ることが、当たり前の自然な成り行きだったとしても阻止したい。

 

「一緒に行きませんか……?」

 

 駄目押しの一言ののち、しぶしぶといった感じでリンクは馬から飛び降りた。こちらへ歩いてくる姿に、よかったと頬が緩む。やっぱりリンクは私の傍に居てくれる、彼が私のことを見限るはずがない。

 ところが伸ばした私の手に、彼は腰に下げていたシーカーストーンを置いた。

 

「ごめん、いいや。これも返しておくね」

 

 ずしりと手の中で重みを増したシーカーストーン。取り落とさないように抱え込んだ上に、さらに光の弓まで乗せられては声が出なかった。

 あのリンクが。

 記憶を失っているとはいえ彼が、私を置いてどこかへ行ってしまうなんて。そんなことが、まさかあるとは思わなかった。

 

「そんな顔しないでよ。生きてれば、またどこかで会えるって」

 

 随分とひどい顔をしていたのだろう。リンクは慌てて手を振って弁明の言葉を探し始めが、結局一言「ごめん」と寂しそうに笑うだけ。重みのない謝罪とすっとぼけた顔が逆に腹立たしい。

 こんなにも待ち焦がれていたのに、彼にとっての私は通りすがりの困っている人間と何ら変わりがなかった。まるで100年越しに裏切られたみたい。

 いや、逆に私がうぬぼれていただけだったのか。

 

「じゃあ元気でね」

 

 シーカーストーンさえ手放して、勇者はカカリコ村から去っていった。切通しの細い道に後姿が消えるまで、もしかして振り向いて戻ってきてくれるんじゃないかしらと思って待つ。

 でも彼は一度も振り向かずに行ってしまった。

 体が失意に重く濡れる。がっくりと膝をつくと、駆け寄った者たちの中にカラコロと音がする人ではない子が混ざっていた。

 アサガオの形の葉っぱのお面をつけたコログが、不安そうな顔で私の膝に手をやっている。コログにまで心配をかけてしまうなんて、私もまだまだですねと目を伏せた。

 

「お願いです、どうか彼を見守ってはくれませんか。人ではないあなた方なら、きっと傍においてくれるでしょうから」

『ひめみこサマ、そうしたら安心すル?』

「戻ってきてくれなくとも、彼が無事ならばそれで」

『わかっタ!』

 

 手に持っていた葉っぱがクルクルと回ると、コログはあっという間に空の高いところに飛んで行ってしまった。そのまま風に吹かれて村の外へ。

 でもこれで、リンクには供連れができた。

 確かに国が滅びた私には、リンクにしてやれることは何一つない。もしかしたら、何かを施そうと思う方が、ずっと傲慢なのかもしれない。だからせめて、彼が進まんとする旅の無事を願うこと、そのためにコログにお願いすることぐらいしかできなかった。

 

――どうかリンクの旅路が穏やかでありますように。

 

 思わず手を合わせて空に祈りを捧げる。

 ところが、若いころのインパによく似た、おそらく彼女の孫娘は目を丸くして首をかしげていた。

 

「恐れながらゼルダ姫様、一体何にお話していらっしゃったのですか?」

「ここにコログが……」

 

 言いかけて「あ」と口に手をやって、周囲の人を見回した。集まっていたシーカー族の誰もが、孫娘と同様に不思議そうな顔をしていた。インパだけは察しがついたのか、一拍おいて無言で頷く。

 長い間、人ならぬ身であったので忘れていたが、コログは常人には見えない。いきなり独り言を言うなんて、さぞかし可笑しな人に見えたことだろう。

 でもこれが、100年前に私が欲した力だった。

 

「今ここに、森の精霊がいたんです。だから精霊に、リンクを見守ってくれるように頼んでおきました。あのように言われてしまっては、私にできるのはこれぐらいですから……」

 

 以前は彼ばかりがコログや龍の姿を見る特別な人で、一時期は劣等感を刺激する材料でしかなかった。それが今となっては、たくさんの不思議が目に映る。

 ところが同じものを見たいと思っていた彼はもういない。

 あまりの皮肉に女神に余程嫌われているのかとさえ思う。だが右手の甲には聖三角がうっすらと輝いて、いまだ我が身が人には戻り切れては居ないのだと気が付いた。