花守りとオオカミナスビ - 2/18

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 遠くで母の呼ぶ声が聞こえたので、慌てて花を摘む手を止めた。立ち上がって撫子色のスカートをはたく。大股で走るとはしたないと怒られてしまうが、早く見せたくてなるべく静かに駆け出した。

 

「ははさま、お花!」

「綺麗ね」

 

 母の枯れた指の間に押し込んだのはしのび草とツルギソウとヨロイソウと、あとはマックスラディッシュの花のところだけを摘んだものなど。要は目についた花らしいものを色とりどりに摘み取っただけのもの。

 ところが花には目もくれず、俺の両手を握って慌てて小川へ連れて行った。

 

「でもこれはだめよ、リンク。ベラドンナは毒だから」

「どく?」

「そう、オオカミナスビと言って、危ないの」

「おおかみ、なす……」

 

 ごしごしと痛いほど洗われた後、花束の中にあった赤紫色の花のついた一枝を抜き捨てた。母は俺の小さな体を花束ごと痛いぐらい抱きしめる。

 ぐしゃり。

 花束は潰れた。

 

「それに危ないから1人でどこかに行ったりしないで」

「うん、ごめんなさい」

 

 編み込んだ長い髪を撫でてくれる手は温かい。穏やかな毎日に、なんだか可笑しいとは思いつつも満足していた。

 何歳の頃だったかは分からないが、だいぶ幼い時分。この時すでに、母が病で先が長くないことを察していた。だから変だとは思いつつ、黙って言われるがままにしていた。

 たぶん母は、女の子が欲しかったんだと思う。

 

「でもね、ベラドンナオオカミナスビは可愛い女の子になる魔法のお薬でもあるのよ」

 

 家に帰ると母は俺の青い目に目薬を差してくれた。急に辺りが眩しくなったように感じて顔をしかめる。「笑ってみせて」と言われたが、どうやって笑ったらいいのか分からなくて目をしぱしぱさせた。

 

「おめめが大きくなる魔法のお薬よ」

「毒じゃないの?」

「どんなものも量や使い方を間違えれば、薬にも毒にもなってしまうの。覚えておいてね」

 

 母がこちらへ向けた手鏡には、俺に似た女の子が写っていた。

 与えられる服も淡い色のスカートばかりで、人形遊びを楽しむ振りをする日々。麦藁色の髪も長く伸ばして、毎朝母の細指で綺麗に編み込んでもらっていた。本当は近所の男の子たちと棒切れを振り回して野山を走り回りたかったが、落胆がこれ以上母の命を削る方が怖かった。だから静かに笑って女の子の振りをしていた。

 

「リンクは優しい子ね」

 

 いつも褒めてくれる母は、しかしながら恐怖に顔を凍らせることが多かった。理由は分からない。時折、ぎゅっと抱きしめられて「私の可愛い坊や」と言われるので、それで自分は男の子なのだと確認していた。

 しばらくして病で母が亡くなり、城で働いていた父と城下町で暮らすようになった。そのあたりで生来の性別に従った生き方に戻された。ところがその頃になると逆に男である方が何かしっくりと来ないので、父に頼み込んで人より少し長く髪を残させてもらった。そうすることで、母が望んだ自分がわずかに宿る気がした。

 またさらにいくらか経った頃、父も亡くなって頼る大人が居なくなったのを機に、城に奉公に上がった。騎士様の傍仕えをしながら無給で働く代わりに、学問と食事が与えられる。そこでは同い年ぐらいの男の子たちと共同で生活することになった。

 その段になってようやく、背が伸びない、可笑しいと気が付いた。すでに短いながらも髭や、股や脇に毛が生える同輩たちもいるのに、俺だけ背も低いし体も柔らかく、幼い女顔だと笑われた。

 父は筋骨隆々のだいぶ大柄な人だったのに、一向に似る気配が無い。一瞬、母の不貞を疑ったこともあったが違う、原因はそんなことではなかった。

 

「リンク、お前がちっこいのって玉無しだからだろ」

 

 日ごろから意地悪をしてくる奴に言われて、言葉を失った。心の温度が急降下する。

 母はたぶん本当に女の子が欲しかったし、後にも先にもたった一人産んだ子が男であることを本気で許せなかったのではなかろうか。あるいは俺が男であることを認めたら、母は本当に壊れてしまうほど病んでいたのかもしれない。付け根に小さく残る傷跡は、たぶん記憶のないうちに母からもたらされた呪いのようなもの。

 男にも女にも成長しきれない体がいくら歳を経ても中途半端に時を止めて、ぐずぐずと燻り続けた心は次第に暗く閉ざされていった。

 

 しかし長い眠りから目覚めたばかりの俺は一切合切を忘れていた。自分が何者なのかすら思い出せない。

 真っ白なひげのおじいさんに教えられて台地を飛び出し、ところがそこから先はおじいさんの言いつけ通りに出来ず、灯りに引き寄せられる蛾ように城へと向かってしまった。事実、黒々と闇渦巻く城のてっぺんは俺にだけ見える光で輝いていた。

 衝動に突き動かされるがまま、飛び出してくる数多の魔物たちを屠る。そうやって助け出した金の髪のその人を見て、よかったとようやく胸を撫でおろした。

 自分の役目は終わった。

 彼女の顔を見た途端、俺は不思議と十分に満足してしまったのだ。