花守りとオオカミナスビ - 17/18

 

 

 気が付いたら俺は木漏れ日の中にいた。

 そこは俺と同じ、主とはぐれた狼の園だった。

 たぶん鉄色の狼に連れてきてもらったんだと思うが、前後の記憶はほとんどが空白。ただそこにぽつねんと、『俺』というものが存在している。それだけだった。

 不思議なことに何も食べなくてもお腹は空かなかったし、代わりに何のやる気も起こらなかったので、ただ伏せて寝ていた。周りの奴らとあんまり遊ぶ気も起こらなかった。

 そこへある日、綺麗な人がやってきた。名を呼ばれ、膝に頭を乗せてもらって撫でてもらうと、とんでもなく心が跳ねた。

 嬉しい。

 この人の傍に居たい。

 でも霞がかった記憶のどこかで、俺はこの人から追い出された思い出があった。

 

「ごめんなさい。リンク、お願いします」

 

 そう言われれば、本当はいくらでも尻尾を振って付いて行きたい。でも付いて行ったが最後、再び追い出される可能性がどこまでも着きまとって来る。

 この人と一緒にいるのは嬉しい。でもそれ以上に追い出されるのが怖い。邪険にされるのは怖い。嫌われるのが怖い。

 ならばもう近づかなければ、嫌われないで済む。そう考えて俺はずっと伏せていた。

 

「そなたが征かぬのなら、私が代わりに行こうか。姫君のためならばいくらでも死地に赴く覚悟はあるぞ」

 

 そこで初めて俺は立ち上がって、園の主である金の狼に牙を剥いた。この狼の園に来て以来、初めて奴を真っ向から見据えた瞬間だった。

 金の狼は、実は元々気に入らなかった。

 鉄色をした狼は好きだ、俺に色々なことを教えてくれる兄貴みたいな奴だから。他の奴らも好きでも嫌いでもない。だって俺の相手になるほどの奴はあまりいなかったから。追いかけっこしても圧勝するので、あんまり興味が無かった。

 でも金色の奴は嫌いだ。

 あれは何でも知っている顔をした。強さも弱さも、寂しさも喜びも、全部ぜーんぶ知っているぞという隻眼で俺を笑う。世の中にある清濁全てをその身に浴びてなお、唯一無二の金の毛並みは燦然と輝く。

 だから大嫌いだった。

 こんな奴に俺の大事な人を、大事な人の傍に居る権利を渡すなんて馬鹿なことはできない。金の狼と真正面から戦ったらどうなるかは正直分からなかった。でも負ける気はしない。だって俺はここで一番若くて優秀な狼で、俺は唯一あの人に侍ることを許された者だから。

 牙を剥いて初めて立ち向かうと、金の狼はあっさりと退いた。まるで決まりきった茶番だとでも言いたげに、あいつだけ特別な赤い瞳で睨んでいた。

 

「お前はお人よしだからな。もうしくじるなよ」

 

 鉄色の狼は最後まで俺に優しくしてくれた。うん、と堪えたかったけれど、俺はまだ人の言葉は喋ることが出来なかった。だから頷いた。

 絶対にもうしくじらない。この人を悲しませるなんてことはしない。

 それから俺は狼の園を出て、その人と一緒に暮らすようになった。その人はみんなから『姫様』と呼ばれていた。だから俺もその人のことを『姫様』と呼ぶことにした。もちろん心の中でだけだけど。

 俺は街の外に時々現れる魔物から姫様を守ろうと思って、最初はずっと家の外にいた。でも雨降りの日に家に家に入れてもらってから気が緩んでしまい、先日ついに温かいベッドにも負けてしまった。フカフカのお布団はとても強かった……。

 以来、姫様と一緒に寝ている。寝ている姫様の様子も外の気配もどちらも気を配れるし、前もこうして姫様とゴロゴロしていたような気がした。

 もちろん園より以前の記憶はない。あるのはふんわりした感覚だけ。

 もっと近い場所でいたはずなのに、今は毛皮の分だけ遠いのが少しだけ寂しかった。でもどうしたらこれ以上近づけるのかは、よく分からなかった。

 ある日、姫様のところへ白い鳥の人がやってきた。

 めどー・・・という奴が暴れているから、どうにかしてくれとお願いしに来たらしい。姫様は二つ返事で白い羽の男と共に北に向かい、当然俺も付いて行った。でもくたくたに疲れ、硬いベッドの上で寝てしまったのだ。

 しょうがない。長時間、あの性格の悪い白馬に乗ってたんだ。だがこの寒さじゃ風邪をひく。一時間経って起こしてみたけど起きなかったので、不格好ながらも布団をかけたあと、食事の材料でも獲ってこようと走った。

 なんか温かい物がいいなと思って、ポカポカ草の実と肉と魚を探しに行った。ポカポカ草と肉はすぐに見つかった。だが魚が見つからない。困っていたら白馬に笑われた。やはりあいつ、見た目は良いが性格は悪い。

 やむなく、来た道を戻って相当戻って湖で魚を取ってきた。確か魚と肉とポカポカ草の実で作る料理が『究極の料理』って誰かに教わったんだ。誰だかは覚えてないけど、これを食べれば風邪をひかないはず。

 それで次の日から元気に空を飛ぶ大きな鳥みたいな奴、めどーをやっつける作戦が始まった。残念ながら俺には出来ることは無くて、着々と爆発させていくのをすごいなぁと思って上空を見上げていた。

 ただあの鳥から聞こえるすごく小さな悲鳴みたいな声がずっと気になっていた。

 

『おや、見たことある顔が、見たことのない姿になっているね……』

 

 落っこちためどーの尾羽に乗った途端、そいつは話しかけてきた。

 聞き覚えのある高慢ちきな声に耳がぴくんと反応してしまう。でもそれが誰なのかはよく分からなかったし、姿も無かった。

 ただ、ずっと聞こえていた悲鳴の主がその高慢ちきな声の主であることだけは分かった。隠そうと必死になってはいるが、そいつは涙すら出ないぐらい疲れ果てているようだった。

 

『ま、君は必ずここに来るとは思ってたけど。でも100年ってのは待たせすぎだし、それに何だいその恰好は。自制心の塊だった君もついに、姫の忠犬から狼に鞍替えかい?』

 

 姫の忠犬。その言い方は何となく以前を思い出させるような気がした。

 俺は姫様の飼い犬だった? 飼い犬が狼になったんだろうか。よく分からない。

 よく分からないけど、めどーの中を進むたびに、そいつは話しかけてきた。ところがどうやら、そいつの声が聞こえているのは俺だけの様子。

 

『まったく、なんだって君は狼になってて、姫も僕の言葉が聞こえないんだろうね……仮にも厄災は封じたんだろう? 一時はこのメドーだってあいつ・・・がいなくなって静かになってたんだ』

 

 声はずっと苛立ちながら、ああしろこうしろといちいち煩い。聞こえているのが俺だけということもあって言いたい放題だ。

 

『それに戻ってきた奴は見るからに弱ってて、ほとんど動けなかったはずなのにさ。二か月ぐらい前からかな、急に回復し始めて僕からまたメドーの主導権を奪ったんだ。一体何があったのか、こっちが聞きたいくらいだよ』

 

 奴に言われた五か所全てを回り、今度はメドーの背中へ行けと言われた。あそこからはいっとう嫌な匂いがしていたので顔をしかめる。

 でも姫様が白い鳥の人と一緒に歩いて行ってしまうので、しょうがない俺も付いて行く。本当は姫様をそちらへ行かせたくはない。でも俺はこの人のやることには逆らえない。

 俺に出来ることは、ずっと傍に居て道を切り開くことだ。

 そのために必要なものが決定的に欠けている気はしたが、でも付き従うしかない。

 

「ここだな。さて、鬼が出るか蛇が出るか」

 

 白い鳥の人が悠長に構えている傍らで、姫様は酷く不安そうだった。顔色が悪い。

 でもあの高慢ちきな声は聞こえずとも、姫様はやることは分かっているようだった。コトリと硬い音を立てて、黒っぽい石の構造物にシーカーストーンと呼んでいる物をくっつけた。

 その瞬間、足元が動き始める。慌てて姫様に体を寄せて支えたが、それよりも濃厚な怨念の匂いに毛が逆立つ。

 姫様と白い鳥の人は何か小難しい話をしていたが、俺はずっとそいつが現れるまでの一部始終を見ていた。青い光がどこからともなく集約してきて、でもそれは清浄な光ではない。腐肉を煮詰めて作った奴の体からは死臭がした。

 

「……まさか、そんな」

 

 奴には確かに見覚えがあった。

 どこか大きなお城のてっぺんで、俺は光に呼ばれて一心不乱に歩いていた。でも光に手が届く前に、そいつは現れたんだ。

 ごうっと風が吹き込んでくる。風に乗って青い光が幾筋も集まって一塊になると、赤い髪を振り乱した一つ目の大きな魔物が浮いていた。

 

「どうして、カースガノンがまだ生きているの……!?」

 

 辛うじて人の形はしていたが体自体は赤黒い瘴気の塊で、顔は歪な形をした黒いお面の真ん中に青い一つ目が輝く。頭の四つの突起の隙間からは燃えるような赤い髪が風に逆立って、右腕はガーディアンのビームを数個集めたぐらい強力な奴がくっついていた。

 でも確かに俺はこいつを、お城のてっぺんで倒した。

 あの黒い面を割って倒し……いや、違う。

 面を割って俺はその顔を興味本位で覗き込もうとしたのだ。そうしたらか弱いビームが頬をかすめて血が流れた。それに腹を立てて今度こそ胴体を真っ二つにしようと大きな剣を持ち上げ、――そこから先、振り下ろした記憶が無い。

 直後にもう一つ大きな気配がして、長い槍を持ったもう一体の化け物が出てきたのだった。

 

「おい、なんだこいつは!」

「これはカースガノンです、厄災の分体ともいうべき魔物がなぜまだ……」

 

 どうやらメドーは空中に飛び出して、また空を飛び始めたらしい。でも一度不時着する前と違って、あっちこっちから煙が出ていたし、飛び方も酷く不安定で足場が悪い。

 こんな中でどうやってアレを倒せばいい。

 そもそもどうやって空を飛びまわる魔物に俺は食らいつけばいいのか、見当がつかない。ジャンプして届く範囲になんて来やしない。

 それを見越したように、あの悲しみを隠した声が俺に話しかけてくる。

 

『ああ、気を付けた方がいいよ? 100年前僕油断しちゃってさ、ガノンが造ったそいつにやられたんだよね』

 

 いやこいつは俺が倒したはずだ。ちがう、俺はこいつにちゃんととどめを刺さなかった。

 だが、殺したはずだ。いいや、殺し損ねてこうして生き延びていた。

 記憶がぐしゃぐしゃと音を立ててこんがらがっていく。100年前? そんな前からこんな奴がいたのか? じゃあ俺がこいつを倒したのはいつだ? いや、本当に倒していたのか? だから倒してはいなくて、でも戦った記憶はあって。

 あの時、手足はまだ人の物だった。そうだ、俺は剣を握っていた。では今は? どうして俺は両手両足を地面につけて歩いている。

 一体何が起こったというんだ。分からない、分からないわからないわからない。

 

『さてと、大混乱のところ申し訳ないが、……姫、どうやら力を失っているね』

 

 ハッとして振り向くと、姫様は右手の手袋を脱ぎ去って左手で握りしめていた。烈風吹きすさぶ上空で右手は血の気を失って真っ白に、顔からも色が消えて真っ青になっていた。

 

『どうしたものかな。本当は非常に不本意ではあるが、僕の敵討ちでもお願いしようと思っていたんだ……。だが姫はあの調子、君はどこで何を食ったんだか狼姿で弓の一つもまともに引けやしない』

 

 カースガノンが叫び声を上げる。

 青い単眼は俺を、あるいは姫様を見ていた。仇敵を見つけ、ひっそりと爪を研いでいた魔物の瞳に捉えられる。

 こいつは俺を、明らかに知っていた。

 

『期待はしない。でもできることなら、もうこれ以上誰も死んで欲しくはなかった……』

 

 声の主が物寂しくつぶやいて気配を消すのと、カースガノンが襲い掛かってくるのとは同時だった。

 空気をつんざく音がして、4つの子機から放たれる青いビームが姫様を狙う。慌てて体当たりをして、彼女の体を中央端末の裏に隠した。どうにかしてまずはあの子機を処理しなければならない。

 でも狼のままでは手が届かない。思い出せ、以前の俺はどうやってあの子機を撃ち落とした?

 

「おいワン公! お前はゼルダさんを守れ!」

 

 白い鳥の人は怒鳴りながら空を滑り、矢を番えた、それを見た瞬間、自分の手が矢を番えていた頃の感覚が呼び起こされる。

 でも手?

 どう見ても今の俺の手は地面を走ることしかできない。2本足で立って歩くことすら自由にできそうにない。俺は人間だったころがあるのか? あの声の主はこれを『忠犬』と呼んでいたから、てっきり元はハイリア犬だとばかり思っていたのに。

 でもそうだ、弓で射落とさねば届かないが、今この狼の姿形ではどうしようもない。他に方法を何か考えなければと考え事をしながら、姫様を子機の攻撃に当たらないよう中央端末の背後に誘導する。

 

「一体どこへ向かっているの……、東……?」

 

 シーカーストーンを開きながら姫様は地図を見ていた。今はそれどころじゃないのに!

 吠えたてて移動を促し、不用意に至近距離まで狙いに来た子機が一つあったので嚙み砕いた。子機はあと2つ。これなら何とか行けるかもしれない。

 と、一瞬の安堵もつかの間、今度は化け物の右腕の巨大な砲が嫌な音を立てて光を凝縮する。明確な殺意が俺と、俺の背後の姫様に牙を剥く。

 あれを撃たれたらまずい。

 

「ゼルダさんを連れて逃げろワン公!」

 

 白い鳥の人が2つの子機に追いかけまわされながら矢を番えたのが見えた。逃げるったってどこへ。ここはもう空の上、翼のないハイリア人に逃げ場なんかない。吐き出される竜巻と、反射を利用した子機のビームが足元をかすめ、俺と姫様は翼の端へ端へと追いやられていく。

 化け物の右腕ははち切れんばかりに光を凝縮し、ズタボロだった奴の腕はその光だけでもう崩壊しそうになっていた。俺が万全で戦えていないように、奴も恐らくもう後がない。よく見れば面には大きくひび割れた痕があって、俺に傷つけられた体は完全に回復していない。

 それもそうだ、だって本体のガノンはもう姫様が封じてしまったから。

 あの一発さえ躱せれば、もしかしたら活路がまだ見いだせるかもしれない。

 

「ワン公、飛べ! 下が雪原のうちに、降りろ!」

 

 バカなこと言うなよ、と思った

 俺一人ならいい、どうとでもなる。でも姫様を連れて落っこちるなんて危険すぎる。もうここはハイリア人の生きる高さじゃない。

 だったら俺がこいつを何とかするしかない。

 化け物の右腕から溢れる光がこちらへ向く瞬間、閃光に向かって走り出す。歯茎が煮えたぎるのを恐れず噛みつけば、奴の腕は簡単にその形を崩した。ごしゃっと嫌な音がして、口の中に腐った血みたいなものが入ってくる。

 同時に化け物は金切り声を上げて、未だエネルギーの発散しきれない腕を振り回した。

 

「危ない!」

 

 光が鞭のように宙をうねり、メドーの翼を傷つける。すでに二つ止まっていたプロペラは四基ともすべて止まり、翼には大穴が空いた。それでも即座に墜落せずに滑空するだけの余地があるのだから、シーカー族の遺物はすごい。

 ご立派な右腕を俺に食いちぎられたカースガノンは、低く唸りながらまた子機を俺の方に飛ばす。完全に標的は俺に切り替わった。姫様なんか目もくれず、残った子機の2つとも動員して俺を付け回す。

 

「よっしゃいいぞワン公、その調子で翻弄してやれ!」

 

 白い鳥の人はカースガノンの背後に回り込み、頭部にこれでもかというほどバクダン矢を浴びせる。それでもカースガノンの怒りは俺に向き続けていた。

 それでいい。俺は囮でいいんだ。

 こうして奴の鼻面を引きまわし、攻撃が姫様と白い鳥の人に当たりさえしなければいい。子機が近づいてくれば容赦なくかみ砕いてやればいいし、手が届かないことは枷ではないと思った。

 もう一息、墜落までにはどうにかなると思った。甘かった。

 きゃあ! と叫び声がして、我が目を疑う。堕としたはずの子機が2つ、いつの間にか復活して堂々と姫様を狙っていたのだ。

 踵を返した際に長い尻尾の先が少し焦がされた。でもそんなの気にしていられない。

 足元を狙い、カースガノンの子機が姫様をまた翼の端へと追い詰めていく。もはやそのビームに力はなく、たぶん当たってもわずかに焦げる程度の威力しかない。だから奴は方針を替えた。

 追い立てて、翼から姫様を落とす。

 ガタガタと音を立てて、東進を続けていたメドーの巨体が霧深い森へと落ちていく。その前にカースガノンが姫様を落とすか、それ以前に俺が間に合うか。

 

「リンク……!」

 

 悲痛な叫びが俺の目の前で宙に浮いた。

 目の前に伸ばされた姫様の手に俺の前足は、触れられはしても掴めはしない。では噛みつくか? まさか、俺の牙が触れたら姫様の柔肌なんかすぐに切り裂いてしまう。

 ただ走る走る、ひた走るだけのこの手が悔しい。

 どうして森へ落ちる彼女の体を走って抱きしめられないのだろう。なんで俺の手は地べたを走るしかないのだろう。どうして俺の腕はこんなに短い。

 もし女神さまがいるのなら、お願いだから俺に腕をください。

 頼むから、一生のお願いだから、この目の前の人が地面に叩きつけられる前に、伸ばせる腕を俺にください。

 瞬きよりも短いその刹那に、強く願った。

 間に合ったのかどうかなんて分からない。墜落と衝撃が一緒になって、たくさんの枝の中をこすれ合いながら落ちて行った。ドスンと地面に落ちる感覚があって、パッと目を開けたら辺りは仄明るい森だった。

 メドーが近くに墜ちているのか、激しい駆動音は近くで聞こえている。でも森自体からは、小さな子たちのヒソヒソ話みたいな声がたくさん聞こえてくる。真上を見ると桃色の花が咲き乱れ、申し訳ないことにたくさんの花や葉っぱを犠牲にしながら2人で落ちてきてしまったらしい。

 でも生きていた。

 

「リンク、リンク?!」

「ひめさま、だいじょ……あ」

 

 ぽかっと開けた口から声が出る。

 わぁっと嬉しくなって尻尾を振りながら立ち上がると、そう、立ち上がれる。見れば人の手が俺の目の前にあって、それは腕から生えていて、腕はもちろん俺の胴体から生えていた。

 

「手、だ……それに喋れる……」

 

 森の光に透かすと、体毛のない薄い手の平の中に血管が見える。

 俺の体は人の形をしていた。

 

「リンク……、リンクなのですか?」

「え、うん……? 何でもいいよ?」

 

 姫様の手が俺のほっぺたにペタペタ触れる。くすぐったくて思わず笑ってしまった。

 人目のある所では姫様は俺のことを息吹と呼んでいたけれど、2人きりになるとリンクと呼んだ。どっちが俺の名前なのかよく分からないなぁと思っていたが、正直そのお声で呼んでもらえるのならばどちらでもいい。

 何より呼ばれたら「はい」と返事が出来るのが嬉しい。

 耳がぴんと上を向くと、ぼろぼろ大粒の涙を零した姫様が俺の裸んぼうの体をぎゅっと抱きしめてくれた。

 

「戻ってくれた……リンク……!」

「えっと、んっと?」

 

 びっくりして尻尾がボワッとなる。ちょっぴり焦げた尻尾の先が痛かった。

 姫様も俺も傷だらけ。でも幸いなことに、高いところから落ちた割に俺には怪我がなかった骨も折れていない。姫様も腰を抜かして動けなくなっているようだったが、意識があるのだから大丈夫そうだ。もし動けなかったとしても背負って森を抜ければいいと思った。

 思ったんだが、よく見ると姫様は俺よりもだいぶ背が高かった。

 なんだか昔はもっと同じぐらいの目線だった気がするが、女神さまが咄嗟に与えてくれた体は寸法が少しばかり間違ってしまったのかもしれない。

 でもいい。姫様と一緒ならいい。なんでもいい。

 嬉しいなぁ、これからは毎日でもおしゃべりができる。やっぱり狼の園を抜け出してよかったと安堵したときだ。

 嫌な匂いが俺たちの後を追いかけてきた。

 

「カースガノンが……!」

 

 大樹の陰から赤く振り乱した髪がぬっと顔を出す。真っ黒い腐った血潮を滴らせながらも、未だにカースガノンは俺と姫様に照準を合わせていた。

 もはや子機もない、回復できる余地もないのだろう。でもこちらも姫様は動けないし、俺は何も持っていなかった。互いに満身創痍で、でも唯一残った武器を振りかざせるカースガノンの方が一枚上手のようにも思えた。

 ここまで来て姫様を守れないだなんて、鉄色の狼との約束を違えてしまう。焦る頭で辺りを見回す。何か、何か盾になるようなものは落ちてないか。

 

「ゆうしゃサマ! 森人の盾、使って!」

 

 視界の端で、赤い葉っぱのお面をつけたコログがこちらに何かを投げた。それを盾だと認識する前に宙で受け取り、すかさずそのまま横に振り抜いた。

 発射されたカースガノンのビームをそのままはじき返す。

 何となくやり方は体が覚えていた。パァンと派手な音がして、ビームはそのままカースガノンの黒いお面みたいな顔に当たった。ドロドロの体を揺らがせながら、カースガノンは地面に落ちていく。

 もうそこしか、とどめを刺す機会はない。

 でも武器も無かった。

 狼の時は牙があったから噛みつきさえすればよかった。でも今は爪も伸びていないし、牙も短くて使い物にならない。それでも今この瞬間にでも、あの化け物の息の根を止めたかった。それで姫様を安心させてあげたかった。

 くそっと歯噛みしたとき、桃色の花をつけた大樹が大きく揺れたように見えた。

 

『騒がしと思えば、なんじゃ主か。随分とまた小さいナリになったな……』

「だ、誰!?」

 

 おじいちゃんみたいな声が辺りに響く。びっくりして周りを見回したが、メドーの中の声と同じで姿は見えなかった。声はなおも続く。

 

『ともかくこちらへ来て剣を抜け、今のお主ならば抜けるはずじゃ』

 

 武器の在処を教えてくれた声は、なんとなく敵ではないなと思った。優しそうだったし、それにどうやら俺にしか聞こえてなかったみたいなので。

 周りにはコログたちがたくさん顔を出して、枝や葉っぱをふりふりしながら行く先を教えてくれた。あっちにあるよというので、大きな木の幹をぐるりと回るようにして走って行った。

 剣は、大きな木の前の石の台座に刺さっていた。

 青白い光を宿し、柄は青い鳥の翼が開いたような形の優美な剣だった。

 

「ごめん、借りるね!」

 

 ほっほっほとおじいちゃんの声の人は可笑しそうに笑った。何が可笑しいのか分からないけれど、柄を掴んで引っこ抜く。何となく引っかかりはあったけど比較的楽に抜けて、元々俺の物だったみたいにしっくりと手になじんだ。

 少し俺には大きすぎるけれど、手になじむなら問題ない。不思議な剣だなぁと思ったけれど、この際得物は何でもいい。

 

「下がって!」

 

 自分の背丈の半分以上もある剣を、半ば引きずるようにして走った。

 そして起き上がりかけたカースガノンの黒い面に突き立てる。

 

「もう出てくんなオバケ野郎!」

 

 最後の断末魔が無くなるまで、俺は今度こそ力を抜かなかった。もうこんな奴と戦うのは金輪際御免だ。昔の俺に本当に文句を言ってやりたい。

 やるなら最後までちゃんとやれ!って。

 

「リンク……?」

「姫様、終わったよ。怪我大丈夫?」

 

 剣をずるずる引きずって、でも剣ももういいやと思って横にポンとおいて、俺は大好きなその人の元に走って行った。ぴょいと飛びついて頬ずりをする。姫様の頬は涙で濡れていた。

 

「ごめんなさい私、あなたにとても酷いことをしました」

 

 何のことか、よく分からなかったので首を傾げる。記憶はあやふやで何も言えなかった。。

 だからむせび泣く顔を覗き込み、せっかくの綺麗な顔が台無しだと思って涙をぺろぺろ舐め取った。姫様は絶対に笑っていた方がいい。その方が俺は嬉しい。

 

「おいおい、なんだそのガキは……」

 

 後ろで白い鳥の人の声がした。ええっと、テバさんだっけ。

 テバさんは俺の狼の時の姿しか知らないからたぶん驚いているんだと思った。だとしたら姫様の一番の家来が誰なのかを教えてやらねば。

 姫様の前に立ちふさがって腰に手をやって胸を張る。

 

「俺さっきの狼! 名前はね、えっと、リンク!」

「ハァ?! あのワン公だと? 何言ってんだ、っていうかなんだこいつは……」

「信じられないかもしれないけど本物だよ。この手足は女神さまにもらったんだ」

 

 どんなもんだいと耳も尻尾もピンと立てた。もうワン公なんて呼ばせないぞと力を込めたのに、後ろから尻尾を掴まれてぞわっと思わず背を丸めた。姫様の白い手が、俺の尻尾を困惑気味に撫で繰り回している。

 

「姫様、くすぐったいよ!」

「あの、これ本物なんですか……?」

「……本物じゃないことなんてあるの?」

 

 俺の自慢のふさふさ尻尾とふかふかの耳を姫様は真剣な顔で触っていた。触るのが姫様だから悪い気はしないけど、でも滅茶苦茶くすぐったい。耳だって本当は嫌だけど姫様だけは特別に触らせてあげた。

 

「体つきはハイリア人のようですが……」

「この尻尾と耳は、確かにあの狼だな……」

 

 困り果てた様子で姫様とテバさんは顔を見合わせていた。

 よく見たらテバさんには鳥っぽい尻尾があったけど、姫様には尻尾が無かった。姫様は耳も俺とは違って顔の横に付いていて、毛に覆われていない。

 姫様はものすごく眉をひそめて真剣に悩んでいた。

 

「ハイリア様はあなたの体を、寸法も形も少し間違えてしまったのかしら」

 

 確かに体は人の形をしていたが、耳と尻尾だけが狼のまま。

 なんか変だと思ったら、意外に中途半端な姿をしていた。案外女神さまもあわてんぼうなのかもしれない。

 

「クシュンっ」

 

 一瞬、女神さまの悪口を思ったからくしゃみが出たのかと思った。でも原因はたぶん毛皮が無くなったからだ。人の体はちょっぴり寒い。

 姫様を一杯抱っこできるようになったけど、案外人の体って不便なのかも。

 

「ふえっ、クチュンッ」

 

 立て続けのくしゃみに、姫様が上着を一枚かけてくれた。でも姫様の顔の方がほんのり赤い。寒い空の上にいたからもしかしたら風邪をひいてしまったのかも。

 

「俺は大丈夫だから!」

 

 慌てて上着を脱いで返そうとしたら、コホンと咳ばらいをされて上着を掛け直された。

 

「リンク、せめて前は隠してください」

「まえ?」

 

 狼の時は気にしてなかったけど、そういえば俺は全部丸見えだった。