花守りとオオカミナスビ - 14/18

 いらない。いらない。いらない。

 頭の中を真っ白にしながらインパの屋敷の長い階段を下っていた。

 

「いらない、んだ、おれ」

 

 いつか姫様がお1人で立ち上がり、王道を行かれるであろうとは分かっていた。だがこんなに早く、しかも自分を捨てて行かれるとは思ってなかった。

 俺は、もう、いらない。

 どうしていらないんだろう。姫様の邪魔にならないように黙って傍に控えてきた。姫様の立場が悪くなってはいけないから、いけ好かない奴らから何を言われても黙って耐えてきた。インパからいい加減に自重しろと言われても受け流して立ってきた。

 どうしてそれを、要らないって言われるんだろう。

 

「あっ……」

 

 階段の途中で自分の足にひっかかり、ガタガタと音を立てて転がり落ちた。いつもなら受け身を取るはずの体は鉛を流し込んだように重たく言うことを聞かない。そもそも蹴躓くこと自体があり得ない。

 もはや体が言うことを聞いてくれない。

 ゴロゴロと地面に転がり、カカリコ村の真ん中であおむけになった。空は真っ暗に塗り潰され、俺の頭の中とはあべこべだ。ぽつりぽつりと降り出した雨に、幾人かの人が足早に家へと走っていく。

 でも俺にはもう帰る家が無かった。

 

「いらない」

 

 俺の家は姫様だった。姫様の居るところが俺の居るところで、例え夫君を迎えられようがどれほど年を取ろうが、下男でもいいからそばに置いてもらえたらそれで幸せだった。

 でもそうじゃない。

 そもそも、要らない。むしろ邪魔。

 

「そんなに……?」

 

 音を立てて降り出した雨が、無情にも力をそぎ落としていく。このままここで眠ってしまいたかった。でも駄目だ、ここで寝入ったらきっと姫様が明日の朝俺を見て気分を害される。

 俺はもう要らない。目に入ることすらきっと嫌がられる。

 でもどこへ行ったらいいのか分からない。どこへ姿を消したらいいのか全然わからなくて、頭の中は空白のまま途方に暮れていた。

 でも動かなきゃ。俺という人間がお目汚しになるのならどこかへ、せめて姫様の目の届かない場所へ行かなければ。

 辛うじて体をひっくり返し、泥の中から上げた目が捕らえたのは女神像だった。

 

「いらない」

 

 まるで力の入らない足腰を動かして、四つん這いで歩み寄る。丸みを帯びた石に指を掛ける。削れた女神を睨んだ。

 常人には聞こえない女神の声も、石像から確かに聞こえたことがある。

 だから女神の存在を疑ったことはない。逆に言えば、俺をこんな目に合わせている女神が存在することの方に憎悪する。

 何が楽しくて勇者などという役割に俺を産んだ。どんないわれがあって姫様の隣に俺を据えた。どうして役目を果たす以外には俺に力を持たせなかった。

 運か力か生まれの利のうち、一つでも恵まれていればこんなことにはならなかった。

 

「いらない、もう、こんな体いらない!」

 

 俺はハイリアの犬じゃない。

 雨の中で吠えた。でも女神はうんともすんとも答えない。

 

「何とか言えよ……!」

 

 石像を掻きむしり、爪がはがれても女神はもう答えない。まるで役目を果たし終えた俺はお払い箱とでも言いたげな沈黙具合。ただ雨の降りしきる音しか耳は捕らえなかった。

 だとしたらもう本当に何もいらない。

 いらないいらないいらない。自分ですらも要らない。

 目に入ったのは一輪の赤紫の花。女神像の周りに咲くリンドウの中に、見知った毒花が混ざって露を滴らせていた。

 これはならぬと母が捨てさせた花。

 それなのに俺の瞳に目薬を差した花。

 

ベラドンナオオカミナスビだ」

 

 自然と手が伸び、迷いもなく口に含む。花も葉も、茎も引っこ抜いた根さえも、丁寧にかみ砕き、唾液に混ぜ、嫌がる体に嚥下させる。

 全部飲み込んで、それから吐いた。激しい吐き気。体の中で何かが暴れまわる感覚にこれが毒なのかと納得がいった。

 毒食らわば、その全てを。

 母も姫様も、俺に毒を与える割には中途半端に生かしてしまう。でも女神はそんな甘いことはしなかった。ちゃんと息の根を止めるぐらいの毒を、しかも自分で飲み込めと準備してくれた。ここまでくれば慈悲だ。ならば俺は喜んで飲み込もう。

 でもこんな往来のあるところで、口に含むのではなかった。これでは不調法な死体を晒す羽目になるじゃないか。せめて人目のないところへ行ってから食べればよかった。

 胃の腑をひっくり返えし、痙攣する体を泥の中で転がす。体が熱い、内臓から溶けてドロドロに崩れそう。でもせめて村の外に出たい。誰かたすけて。俺の最後の願いを叶えてくれ。

 この不甲斐ない体をどこか遠くへ持ち去って処分してほしい。

 最後の願いを叶える者が雨の中、軽快な足音と共に俺の頭のあたりで止まる。古びた鎖の音がした。

 鉄色の狼が凍てついた碧眼で睨んでいた。