葬儀だと聞いて、誰の?と聞いたら、母さまは「王妃様よ」と短く答えた。だからこんな黒いワンピースを着ているんだと、幼い頭で理解する。
誰かが亡くなったら黒い服を着る。
そうとは知っていても7歳の俺は、やっぱり黒い服すらスカートなのが少し嫌だった。なにせ今日は髪をくくっているリボンすら黒いのだ。母の目を盗んで時折不満げに裾を引っ張ったが、もちろんスカートはズボンにはならなかった。
そんな時、今にも泣き出しそうな曇天に、ゴーンゴーンと大聖堂の大きな鐘が鳴って、葬儀の列が外に出てきた。
父さまがこのえきしだという理由で、大聖堂へ連なる人並の最前列に俺と母さまは居た。だから小さい俺にも棺に付き従う同じぐらいの女の子を見つけることが出来た。
金の髪をして、張り詰めた翡翠色の瞳はただ真正面を睨む。その姿に思わず目を奪われた。
俺と似たような黒い喪服に身を包み、まるで大人のような顔をしていた。だが手だけは素直にぎゅっと服の裾を握っている。まるでそれしか縋るところが無い彼女。
ところがそれすらお付きの人に手を解かれて、その女の子はもう震える自分の足で立つしかなかった。
「あれがゼルダ姫様か」
「6つだと」
「幼いのにお母様を亡くされてお可哀そうに」
「涙も見せずに、何と健気な姫様でしょう」
口々に囁く大人たちの言葉が、右の耳から入って左の耳から抜けていく。俺はただその女の子が、今にも崩れ落ちそうなガラス製に見えた。
それで唐突に、あの子を助けたいと思ってしまったのだ。
「母さま、ゼルダ姫様ってどうしたら会える?」
「姫様にお目通りなんてできませんよ」
「じゃあこっそりは? お城に入ったらだめ?」
「いけません。こっそりでも堂々でも、平民の子供は姫様には会えません」
「平民じゃなければ会えるの? でも父さまは? 父さまみたいなこのえきしになったら俺も姫様に会える?」
葬儀の後、宿屋に戻って小さな頭で必死に考えた。
俺はどうにかしてあのお姫様に会わなければならない。理由はよく分からないが、あの子の傍に居てやらなきゃいけない。自分では説明のつかない衝動は、一つ間違えば強迫観念のようなものだった。
本当ならばすぐにでも会いに行きたい、でも今は喪だから駄目。分かってる。
じゃあ喪が明けたら? でも平民は会えない。
じゃあ騎士になったら? ただの騎士じゃ駄目だ。父さまのような立派なこのえきしでなければお姫様には会えない。
「母さま、俺、このえきしになりたい」
そう初めて呟いた時の、母の歪んだ顔。
それは時折現れる怒りの形相だった。花束をあげたときの優しい表情のちょうど真裏にある、母の恐ろしいもう一つの顔だ。俺が意にそぐわないことをした時、特に女の子としての振る舞いが崩れた時に現れる。
その法則をこの時、7歳の俺はすでに知っていた。
「だめ、絶対にダメよリンク。あなたはハテノに帰るの」
俺はそういう時の母がとても苦手だった。単純に恐ろしいと言うわけではない。何かに憑りつかれたような狂気が恐ろしかった。
どうして母の言うことが聞けないの、あなたを守るために言っているのに、なんでわかってくれないの。
そう繰り返す母に勝てたためしは、それまで一度もなかった。
でも不思議と、あの金色の髪のお姫様を見た後では、そんな闇深い母のことがちっとも恐ろしくなくなっていた。
「嫌だ。このえきしになりたい! ねぇ父さま、女の子のままでこのえきしになれるの?」
取り乱し始めた母の横で、父は渋く顔を歪めながらゆっくりと首を横に振った。
それを見た瞬間、俺は髪を止めていた黒いリボンを引きちぎった。ばらばらと編み込んでいた髪が崩れる。母のヒステリックな手が慌てて俺の髪をかき集める。その手を跳ね除けて俺は髪を全部解いた。
「何するの!」
「騎士になる。だからもう女の子はしない」
宿屋の一室で、着せられた黒いワンピースを脱ぐ。でもそうはさせまいと母は俺の両手を握りしめた。
冷たい手を振り払う。俺は7歳だったが、すでにその頃には普通の子供よりもだいぶ力が強くなっていた。
でも相手は母だ。乱暴にしたくない。
でも俺はちゃんと男の子になって、あのお姫様の元へ行きたかった。
俺と母はもみくちゃになりながら、互いに「嫌だ」と「駄目」を繰り返す。そうまでして母が俺を女の子として育てたい理由など、幼い俺は知る由もなかった。
「だめ、だめ、だめ、絶対にだめ! リンクは女の子のままでいて! だめなの、そうじゃないと……」
「殺されてしまうと、夢でまだ見るのかい」
「あなたも分かっているならこの子に言ってちょうだい! 恐ろしい人が来て攫われて殺されてしまうって!!」
亡くなったゼルダ様のお母上が王家の姫巫女として特別な力を持っていたのは誰もが知っていたが、案外同様のことを言い張る人は市井にもいる。ただ、単に自称しているだけのペテン師なのか、本当に力があるのかは他の誰にも分からないというだけの話だ。
でも俺の母は、仮にも勇者の母親だ。母はあれでいてもしかしたら、俺と同じで特別な力を持っていたのかもしれない。
だが王家という守りがないただの平民女性には、息子は守れても自分の心を守る術はなかった。
「どうして誰も信じてくれないの?!」
金切り声を上げる母に、父は根気よくなだめるだけだった。たぶん父にも、母の見えているものがよく理解できなかったのだと思う。
「俺は姫様を守る騎士になる」
そう宣言したあの日から、母は急に体を悪くして帰らぬ人となった。幼いながらも俺は、母の死の間接的な原因が自分だと漠然と理解していた。その怒りをぶつける先にちょうど剣の修行があったのが幸いだった。
母はたぶん娘が欲しかったんじゃない。
ただ俺を守ろうとしただけだった。確かにその方法は歪んでいたが、でもまぎれもなく愛情から出たものだったのだ。
でも俺はあの葬儀の日、あまりに脆く壊れてしまいそうな姫様に出会ってしまった。あれが守られる側から守る側になろうと決めた瞬間だ。
たとえ己の体が彼女の隣に永遠に居ることが出来ないと知っていても、彼女が自分の力で歩けるようになるまでは杖になりたい。そう思って100年前、姫の騎士にとこの身を差し出したことを俺は思い出した。