花守りとオオカミナスビ - 11/18

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 朝の空気が忍び寄る夜明け前。私は温かな寝床の中で、後ろから抱き込んでくる腕の感触に安心してまどろんでいた。すうすうとやけに規則的な寝息が頭の後ろから聞こえてくる。ようやく夢ではないと信じられるようになってから、まだあまり経っていなかった。

 約束通り、リンクはあれから傍に居てくれるようになった。まだ思い出せていない記憶を繋ぎ合わせながら、昼と言わず夜と言わず私を支えてくれる。だから私も彼の望む通り、あるいは私自身が望むように枕を共にしていた。

 インパなどは怒っていたけれど、これは私の決めたこと。私の傍らに立つ者を、例えインパと言えどもとやかく言えるものではない。

 

――寝顔、かわいいです……。

 

 起こさないようにゆっくりと体の向きを変えて、覆いかぶさるようにして寝ていたリンクの顔を覗き込む。意外に長い睫毛が、小さく震えていた。

 あら?と思って軽くノーズキスをすると、規則的だった呼吸がわずかに転調する。

 

「寝た振りですか?」

「……ばれた」

 

 目はつむったまま口だけ少し笑って、彼は腕に力を込めた。ぎゅっと小さく腕の中で折りたたまれるみたいになって、でも息苦しいほどではなく、ちょうどいい具合に抱きしめてくれる。

 素肌の柔らかくこすれ合うのが温かくて幸せ。少しくすぐったくて身をよじると、軽く羽のような口付けが何度も降ってきた。でも彼の太ももが私の股に割り込むのだけは少しいただけない。昨日の事情の残りが、ほんのりと零れているのは分かっていた。

 

「ゼルダ、俺の寝顔見て濡らしてたの?」

「そういうリンクだって、朝からとっても元気ですよ」

 

 ひたりと触れ合う肌と肌の間に挟み込まれた強い主張があった。あれから何度目かの睦事の際に、まじまじと見せてもらったリンクの股には確かに竿しかなかった。医学書で見ていたような袋が見当たらない。

 それでも勃つものは勃つし、私の中では気持ちいいと悦び高ぶる。彼はままならないと嘆いていたけれど、情を通じるうえでは何も問題は無かった。

 

「俺のは生理現象。起きてすぐはこんなもんです」

「うそ。だって随分と前から起きてたでしょう?」

「そっちもバレてたの」

「あまりにも寝息がわざとらしすぎて」

 

 なんだーと少し笑った彼は、私の右の太ももを持ち上げて、ゆったりと一呼吸しながら私の秘所へとそそり立つ剣を刺しこむ。まさかの行動に苦言を呈そうとしたのに、思わず鼻から抜けるような声が出てしまい、慌てて口を塞いだ。

 朝なのに。それに今日は、ある人を訪ねてハテノ村まで行く。予定を覚えてないのかしらと慌てたが、敢え無くリンクに唇を塞がれてしまった。しばらく無心で唇を吸われて、気が付く。深い口付けの間、彼はほとんど動いていなかった。

 どうしたのかしらと硬い髪を指で梳くと、青い瞳が懇願するように揺らめいた。

 

「入れるだけ、だめですか」

「それで……満足、できるんです、……か?」

「うん……すごく気持ちいい……」

 

 言葉の通り、夜明けに最初の鳥が鳴くまでリンクはほとんど微動だにしなかった。思い出したように時々ゆっくりと腰を動かすだけで、合わせた唇も半分寝ているのか稀に舌を絡める程度。でも薄く目を開けて、時々悦に入った溜息をもらす。

 起きるまでの長くて緩やかな営みは、ただそれだけなのに不思議と体の奥が火照るように熱くなった。

 私ばかりが激しくなる鼓動と吐息を隠して、はしたない思いが手に負えなくなる。困って彼の胸に額を擦りつけた。ところがしっかりと私の様子を把握している彼は、ねっとりと背を愛撫する。分かっていても声が零れてしまう。

 

「えっ……やっ、ん…だめ………」

「姫様の声、聞かせて」

 

 自分でも分かるぐらいお腹の中の彼を締め付けてしまい、呼応するようにリンクが大きく内側から押し広げてくる。するとまた彼は低く唸り声を吐き出した。

 彼以外との経験があるわけではないので単純に比較できるものではなかったが、どうやらリンクの愛し方はとてもとても丁寧で優しかった。激しく奥を突かれることは少なく、これが盛りの男性としての平均ではないだろうとは想像できる。

 

「リン…ク……は、…ぁんっ………」

「なに?」

 

 深いキスもなく、こめかみのあたりを啄まれた。でも奇妙なことに、激しさのない口付けが敏感に体に響き渡る。ただのバードキス。それが切ないほどお腹のあたりでぞくぞくと反響する。

 

「どうして、……んっ………こんなに、やさしく、……なの?」

 

 最初は私の体力に合わせているのかと思ったのだが、どうやら違う。いじらしいほど彼は穏やかな愛し方を好んだ。

 

「激しい方が好き?」
「ちがっ……やっ、あぁ…あっあっ……」

 

 ぐーっと下から圧が掛けられ、リンクの笠の先端が私の最奥に触れた。背筋を這いあがってくる衝動に思わずしがみ付く。頭のてっぺんまで一気に駆け上がりそうになるそれを、震えるお腹のあたりに留め、なお一層彼を強く締め上げると、また気持ちよさそうにくぐもった声が聞こえる。

 達してしまいそうで怖くてリンクの顔を覗くと、青い瞳が潤んで、彼もまた余裕の無くしていた。

 本当に、私たちはただ繋がっているだけ。

 なのにリンクは切なく目を細めて私の肩口に顔を埋め、私を抱きしめたまま体をこわばらせる。また低く呻きながら私の中を自らの猛りで緩やかにかき混ぜる。

 

「あっやっ……だめッ、きちゃっ………りんくっ…り、んく……!」

「イって。俺も、……すぐ、イくから………」

 

 互いに相手にしがみついて息を止め、頂点に達した快楽が緩やかに去っていくのを感じ取っていた。

 まるで激しさのない行為。それなのにとても甘美なひと時。

 静かに始まった交わりがさざ波が退くように終わり、彼はふっと愁眉を開いて笑う。

 

「俺なんかが気持ちよくなったら駄目だと思って、前はこれでもかって強く扱いて痛くしてたんだ。でも姫様と気持ちよくなるなら、優しい方がいいなって思った」

 

 達しても何も起こることがない彼の雄芯は、柔らかくなりながらもまだ熱く、私の中心で火照り続けている。なんて満ち足りた気分なのかしらと瞼を閉じて、「ありがとう」と呟くと「こちらこそ」と彼は瞼に口付けを落としてくれた。

 ただ案の定二度寝をしてしまい、それなりの寝坊に2人して苦笑いをした。支度を整えてその日はハテノ村まで馬に揺られて行く。とてもいい天気で、何も仕事が無ければピクニックにでも行きたくなるような日だった。

 供はリンクだけ。珍しく今日はあの青い目の狼の姿が無かった。

 

「黄昏さん、今日はいないみたいですね?」

「どうしたんだろう。いつもいてくれるのに」

 

 リンクも馬上から辺りを見回す。

 黄昏さんとコログはあのゲルドの一件以来、ずっとリンクの傍に居ることはなくなった。いたりいなかったり。どんな勘なのか、何か大事な用事があるときによくカカリコ村に現れて私たちについて来る。なので今日のように村の外に出かけるのに、ついて来ないのは珍しかった。

 コログによれば、やはり黄昏さんは尋常ならざる存在らしいが、正体については決して教えてくれなかった。

 黄昏さんとコログが見えないインパは、最初の頃こそ、シーカー族の隠密を護衛に付けるように主張していた。だがさすがにリンクが1人いれば大方のことは大丈夫だと納得したらしいし、実はもう1人屈強な狼の精霊が付いているのだと言えば黙った。

 だが今日は本当に2人っきり。

 

「あれでいてもしかしたら忙しいのかもしれませんね」

「黄昏さんが?」

「ある一族の間では、勇者は神獣の姿をしていると信じられていると、古い本で読んだことがあります。黄昏さんはそれじゃないかしらと考えているのですが……」

「神獣って、あのでっかい奴?!」

 

 たぶん思い出しているのはヴァ・ルッタのことだろう。だがさすがに女神の眷属らしい黄昏さんと言えども、あんな大きな人工物に変身することはないはず。

 ただ、素っ頓狂な声を上げたリンクの想像力に笑ってしまった。

 

「まさか、神獣とは恐らく比喩でしょう。例えばコログ族に伝わる勇者の姿が黄昏さんのような狼だったとしたら、あながち間違いではない気がするというだけの話です」

「ああ、そういうことか。……黄昏さんは案外、どっかの誰かの勇者なのかもしれないですね。実際、俺も救われたし」

 

 決して武力だけが人を救うのではないように、あの尋常ならざる狼はただ傍らに寄り添うだけでリンクを支えていた。それが分かっていてリンクも渋々頷く。

 でも彼はその日の行き路、ずっとそわそわ落ち着きがなかった。たぶん不安だったから、今朝は一種の甘えが出たのだろう。それ自体を怒るつもりはないが、彼の記憶の不確かさには胸が痛んだ。

 道中、馬に揺られながら青い瞳が伏し目がちにうつむく。

 

「本当に、俺の故郷なんですか? その、ハテノ村?」

 

 数日前に予定を決めて以来、通算何度目かの質問。やはり行く先が不安の原因なのだと分かって、ことさらゆっくりと穏やかに頷いて見せた。出来るだけ声の調子を変えないように、子供に言い聞かせるように同じセリフを繰り返す。

 

「あなたがハテノ村出身だと言うことは、確かに聞いた覚えがあります。話が終わったら歩き回ってみましょう、何か思いだすことがあるかもしれません」

「うん……」

「大丈夫、私も一緒に居ますし、もしかしたら見えないところに黄昏さんがいるかもしれません」

 

 不安そうな顔をよそに、黄昏さんは結局現れなかった。

 白い霊峰ラネールに見守られたハテノ村の門で馬を折り、ぼろぼろの軍旗を横目にくぐる。リンクの横顔を伺うと、青い瞳が茫洋と辺りを見回していた。

 

「どうですか?」

「……なんとなく、見覚えがあるような……ないような?」

 

 子供たちが元気に走り回る村の中央で四方を見回す。彼はいまひとつ思い当たる節が無いのか、しきりに首を傾げていた。

 まずは用事の方を済ませてしまおうと、分かれ道を少し山側に入る。色とりどりの化粧箱を積み立てたような家が目に入り、その前で踊りを教えているピンクのねじり鉢巻きの人物がいた。

 

「腰よ! ふわふわっのところで、クイっと腰を入れるの。そしてシャキーン!」

「社長」

「なぁにカツラダ!」

「たぶん、お客さんッス」

「まぁもういらっしゃったの?!」

 

 プルアからは、有能ではあるが少し変わった人だから覚悟しておけと言われていた。でもまさか社員にダンスを教えているとは思わなかった。確かに少々変わった方のようだ。

 

「サクラダ工務店のサクラダさん、ですか?」

「アナタが連絡くださったゼルダ様ですね」

 

 初めましてと握手をすると、手のひらが予想以上に硬い。見た目に反し、確かに職人気質だと分かった。

 ハテノ村で『木材資源と職人が失われたハイラルで街の復興を目指す』として、棟梁兼社長兼デザイナーとして工務店を経営しているサクラダさん。ハイラル城下町をどうにか人の住める状態にできないかと相談したら、優秀な工務店があると言ってプルアが紹介状を書いてくれた。

 

「どうぞゼルダと呼んでください」

「プルアお婆様からお話は聞いてるワ。一国の姫君に無作法があってはいけないもの……、大したお構いも出来ないけれど中へどうぞ。カツラダ! お茶を入れてちょうだい!」

 

 こちらへどうぞと、先ほど私が可愛らしいと思った建物の中へ通される。何とこれが社員寮だという。『サクラダ前のめり積み工法』という特殊な建築工法で建てられた家で、資材と人材に乏しい今のハイラルで街を作ろうとサクラダさんが考案したらしい。

 中は驚くほどモダンで可愛らしい。思わず目を輝かせて、昔の王城の私室よりこんな愛らしい家に住みたいと、チラリと考えてしまった。でもこれが本当に成人ゴロン族1人で組み立て・移動・解体までできるとはにわかには信じられない。

 

「それで、お話っていうのは……」

「率直に申し上げますと、ハイラル城下町の復興に力を貸していただけないかとお願いをしに参りました」

「やっぱり。そういうお話だと思ったワ」

 

 社長のサクラダさんは、決して悲観的な表情ではなかったが、腕組みをして難しい顔をしていた。さもありなん、聞くところによれば他の地方でも、一から村を作ろうとしているらしい。だが人材も資材も足りていないと聞く。

 ただその点については、ハイラル王家の姫である私の名を以って人を集めることである程度は解決できるだろうと、インパからはお墨付きをもらっていた。

 だがサクラダさんの指摘はそれではなかった。

 

「つまり王都として復興した暁には、ゼルダ様は女王として即位なさるおつもりなのかしら」

 

 鋭く見つめられて、思わず息を飲んだ。

 漠然と今まで考えていたことではあったが、現実問題として声に出してそれを確認してきたのはインパが一度のみ。事情を知らない、言ってしまえば無関係の平民から問われたのはサクラダさんが初めてだった。

 背筋が伸びる。私は確かに、そうするつもりでいた。

 

「そのように考えております。ですが統治の権限が欲しいのではなく、ハイラル復興の旗振り役として私は王足らん者になりたいと考えております」

 

 久方ぶりに、民から見定められていると感じる。

 100年前には常日頃がそうであった。むしろ封印の役割を終えて、今までがぬるま湯状態だったのだ。

 そしておそらくこれからも私はこういった場面に幾度となく遭遇していく。膝の上でそろえた手。その右手の甲に輝く印を私は隠すことなく晒していた。誰が見ても、その輝く印さえ見れば王家の姫だと気が付く。

 サクラダさんの厳しい目も、やはり王家の印に注がれていた。その瞳が私の方を向く。

 

「お申し出は願ってもないことだワ」

「ありがとうございます」

「ゼルダ様の夢であるハイラル復興は、ワタシの夢でもあるの。手伝わせていただくのは願ってもないことよ。まずはお城の再建からかしらネ……」

 

 カツラダさんという若い従業員さんに、中央ハイラルの地図を持ってくるように指示する。あれから何度か滅びた城下町へ足を運んだが、家々は仮住まいできないほどに崩れ、朽ちたガーディアンの残骸も大量に残っている。

 それでも私の瞼の裏には、噴水を中心に放射状に広がる街並みがありありと思い出すことが出来た。その昔、綺麗に並んでいた青い瓦屋根の家々が、サクラダさんの可愛らしい家となって蘇る。

 そのためならばまずやらねばならないのは城ではない。決してハイラル城を復興させたいのではない。まず先に取り掛かって欲しいのは、実は城よりも城下町の方だった。

 だから広げた現在の地図を見ながら私は首を横に振る。

 

「城の整備は後回しでよいと考えています。まず取り掛かりたいのは、城下町の方なんです」

「アラ、それはどうして? 姫様ともあろうお方が、お城に住まなくてどうするの?」

 

 それは、と言葉を探しながら100年余りの間、厄災ガノンの中から覗き見ていた中央ハイラルの景色を思い出す。厄災が鎮座するハイラル城を中心に、中央ハイラルは人の住めない土地になっていた。

 おのずと人々はガーディアンたちの襲撃を恐れて、ハイラルの四方に散らばる。だが中央に厄災が居るせいで、各種族の連絡が大きく分断されたままだった。

 

「中央ハイラルを速やかに復興しなければならない一番の理由は、流通の拠点を確保することにあります。東西南北に散らばる各種族たちが、双方向に連絡しやすい地点は間違いなくハイラル城下町なのです。貴族たちの入り浸る城など後回しで構いません」

 

 北東にはゴロンとゾーラが、北西にはリト、南西にゲルド、南東にハイリア人、それぞれが厄災を避けてハイラル平原の縁のぎりぎりのところを通って細々と交易を続けている。だがそれでは駄目なのだ。

 とんっと右の人差し指で城下町を指し示す。そこに、魔物に怯えずに人が集まれる巨大な中継地点が絶対に必要になる。

 するとサクラダさんは、アッハッハと声を上げて笑った。

 豪快な笑い声に、私はもちろん従業員のお二人も、あるいは私の背後に立っていたリンクですらポカンとしていた。ひとしきり笑って、サクラダさんはきゅっと口角を上げる。先ほどまでの渋い顔はどこかへ飛んで消えてしまっていた。

 

「アタシの知ってるおとぎ話の王様は、民の家より自分の城を先に作るような人ばっかりだったワ! ゼルダ様は変わった方ね」

「変わっているでしょうか?」

「変わっていますとも、でも気に入ったワ。城下町を優先させるとはいえ、未来の女王陛下のお宅を作らせていただく名誉、このサクラダ工務店が全力を挙げて取り組ませていただくワ! とびっきり可愛らしい城下町にしましょ!」

 

 バチっと音が出るぐらいのウィンクを貰って、私もにっこりと微笑み返す。プルアのいう通り良い方だった。

 今のところ従業員はひげ面のエノキダさんとお若いカツラダさんのお二人だけだ。そのエノキダさんの方が腕組みをして、ウームと難しい顔をしていた。

 

「しかし社長、やはり城下町の規模や機能を考えるとアレが足りません」

「そうね、エノキダの言う通り……、我が社の工法では難しいワね」

「何が足りませんか?」

「石よ」

 

 石?

 首を傾げてから、そういえばハイラル城下町は一面の石畳だったことを思い出す。

 だが石ならば、恐らくまだあるはずだ。ハイラル城から南西に、砕石所があるのを思い出し、広げた地図で場所を探す。

 

「ここに砕石所が恐らくあります。古いものですが、整備すればおそらく使えるかと」

「いいえゼルダ様、問題は石を切り出す技術の方なの。今のハイラルには石工がほとんど残ってないのよ」

「そうなのですか?」

「大厄災以来、石工以外にもたくさんの技術が失われてしまったの……城下町の復興は技術の復興でもあるのよ」

 

 目を丸くして、次の瞬間己の無知が恥ずかしくなった。

 そういえばこの村へ入ってきたときも、掲げられた軍旗はぼろぼろのまま修復されている形跡はない。あれはボロでよいと思われているのではなく、石工と同じで修復できる人材の枯渇を意味していたのだ。

 

「あとデザインの問題ではなく機能性の問題なのだけれど、交通の要所ともなれば人だけでなく、荷馬車の往来も多くなるはずよネ。すぐにとは言わないけど、地面の削れを防ぐために石畳は必要になるワ……。古い石畳を使うのもいいけど、お城の修復も考えたら石材を切り出す技術を持った人が必須かも」

「石工ですか……」

「ハイリア人の石工は、生きていたとしても寿命でお空の上でしょうし。となるとゾーラ族に頼るか、シーカー族に技術が伝わってたりはしないかしラ」

 

 ゾーラ族は確かに夜光石を使った細工技術を持っている。だが夜光石以外の大きな石の加工技術があるかどうかは分からない。

 一方でシーカー族は長寿ゆえの技術の保存はあったが、残念ながら木造建築が主であるため大規模な石切りはできないだろう。プルアかロベリー辺りに新たに技術革新をしてもらおうにも時間がかかり過ぎる。

 と、そこまで考えて、プルアの言葉を思い出した。

 インパが現在、外つ国に貴族の子孫たちに連絡を取っていた。

 

「もしかしたら、外つ国から技術者や技術書を取り寄せることは可能かもしれません」

「そんなことが?」

「いま外つ国に避難していたハイリア人に子孫に今連絡を取っているところなんです。どれほどの人が協力してくれるかも分かりませんが、女神ハイリアの血に連なる者として私の名を発すれば、ある程度の助力を仰ぐことは出来るかもしれません」

 

 サクラダさんの背後で「女神ってすごいっすねー!」と叫んだカツラダさんの頭を、ポカンとエノキダさんが叩いていた。

 でも彼の言う通り、私がすごい訳じゃなくって女神ハイリアの血統が何よりも物を言う。特に貴族に連なる者たちからしてみれば、決して王に仰ぐのは私ではなくていいはずだ。ハイリアの血筋であれば誰でもいい。

 

「分かったワ。では石工に関しては、何か動きがあったら教えてください。こちらでも一度実地調査もしたいし、色々準備してからまたご連絡するワ」

「ありがとうございますサクラダさん」

「でもゼルダ様」

 

 ぺこりと頭を下げた私に向かって、サクラダさんは少し怒ったように腕を組んで胸を張った。

 

「アタシがこのお話をお受けしようと思ったのは、決してゼルダ様が女神の器だったからじゃないワ。人として、ゼルダ姫という方に魅力と希望を感じたから。そこだけは覚えておいてちょうだい」

 

 一瞬、何を言われているのか分からずにポカンとしてしまった。

 誰もが皆、私のことをハイリア王家の姫だから丁重に扱ってくれるのだとばかり考えて、自分でもそれに足る人でありたいと願ってきた。

 皆の理想の姫巫女に上手く当てはまることが、厄災を封じた後のハイラルには必要だと考えていた。それは奇しくも、100年前は力を得るために少なくとも形ぐらいはと、母の真似事をして取り繕っていたように。力を得たのは、真似事を止めた瞬間だった。

 ところが厄災を封じた後となっては、あれほど渇望されていた封印の力は民の腹の足しにもならない。逆に力など振るう必要がなくなり、指導者として理想の姫巫女の振舞わなければならないという矛盾が生まれた。

 嫌な気分ではないが、妙なわだかまりが胸の内にあったのは否定できない。でもサクラダさんの言葉は、それを真っ向から否定してくれた。

 びっくりするやら嬉しいやら。じんわりと浮かび上がる涙に、むしろ自分が一番驚いた。

 

「ありがとうございますサクラダさん」

「あと、サクラダ工務店は社是に則り『ダ』で終わる人をいつでも募集中よ。王様業に飽きたらぜひご一考いただけると嬉しいワ」

 

 バチンと音がするぐらいウィンクされて、本当に良い人を紹介してくれたとプルアに感謝する。

 社員寮の外に出て、ではまたと挨拶をしようとして気が付いた。サクラダさんほどの人ならば、もしかしてリンクの故郷であるヒントを知っていないかしらと。

 

「あの、サクラダさん。今回の件とは全く関係ないのですが、少しハテノ村の家のことでお聞きしたいことが」

「アラ、何かしら。このハテノの建物のことなら大体このサクラダ工務店が請け負っているから、個人情報以外ならお教えするワ」

 

 さすがに抜け目がないと笑いながら、サクラダさんと話している間はずっと黙って背後に立っていたリンクを見やる。飽きているわけではなさそうだったが、やはり何となく不安そうにしていた。

 

「大厄災の以前、この辺りに平民ながら近衛騎士を輩出していたお家があったという話は聞いたことがありませんか?」

 

 ぎゅうっと音がするぐらい強く握られた手をできれば解いてあげたい。でもさすがに人前ではそれも難しい。

 少し視線を横にずらすと、あからさまにぎこちなく眉をひそめたリンクが私の方を伺っていた。だから、大丈夫ですよと小さくうなずく。

 サクラダさんは大仰に首を傾げた。

 

「そんな大層なお家のお話はおじい様からも聞いたことがないワねぇ……。でもそこの吊り橋を渡った先の家、今度取り壊すことが決まっているんだけど、そこが大体築百ン十年ってところらしいワ」

「そこは見ても?」

「外側からならいくらでもどうぞ」

 

 お礼を言って、リンクと連れ立ってその家を見に行った。

 ハテノ村の端っこにある、普通の民家だ。家自体は周りの民家と比べてもさして大きくないが、奥へと続く庭はそれなりに広い。庭には池があり、家の裏にはりんごがあった。だいぶ太い幹のりんごの木。もしかしたら100年前からあってもおかしくはない。

 

「リンク、どうですか?」

「うーん……家の裏のりんごの木、あれがなんか……、いや、でもハテノ村ってりんごの木いっぱいあるしなぁ」

 

 ぶつぶつと独り言を零しながら、彼はふらふらと庭の奥の方へ歩いて行った。慌てて付いて行く。

 ハテノ村にはりんごの木がたくさんある。

 実はそのことを私は今、初めて聞いた。

 指摘こそしなかったが、やはりこの村が彼の生まれ故郷であることは間違いないようだ。他に何か記憶を引き出すきっかけになるような物はないかしらと庭の奥を見回すと、池の辺りは一面の花畑。もっぱらマーガレットだろうか、白い花が多く咲き誇る。合間から他にも青や黄色の色が揺れ、庭全体がまるで華の絨毯だった。

 

「花を……、そういえば、花……たくさん」

 

 リンクが花畑のなかでうずくまる。

 揺れる花を指先で突いて、ぼんやりと空を見上げていた。

 

「姫様、ベラドンナって花。知ってますか?」

 

 それが一体どのような特性を持つ花だったかを思い出し、一瞬眉を顰める。もしやベラドンナが手元にあるのかと思いきや、彼の指の隙間に挟まっているのはやはりマーガレットだ。

 いぶかしみながらも、私は図鑑に描かれたベラドンナを思い出していた。

 

「ええ、知っています。毒草の一種で、葉に触れるだけで皮膚がかぶれ、摂取すれば嘔吐などの症状を引き起こして最悪の場合には死に至ることもあります。ただ煎じ方や用法を間違えなければ薬にもなる、薬草としての側面もある草です」

 

 毒草と知っても赤紫の花に魅せられて観賞用に育てる人もいて、王家の植物園の隅っこにはひっそりと植わっていたのを覚えている。赤紫色の、深い帽子みたいな形をした花だ。

 でもなぜそんな花のことをリンクは今問うのかしらと顔を覗き込むと、彼の青い瞳からぼろりと涙が零れ落ちていた。

 

「ぼんやり蘇った記憶、なんですけど。幼いころ母に花束を作ってあげたら、その中にこのベラドンナが入っていたんです」

「お母様は毒花と知っていて?」

「怒られてごしごし手を洗われました。でもその後すぐ家に帰ってベラドンナから作った目薬を俺の目に垂らしたんです。可笑しいですよね、毒だと知っていて自分の子供の目に『魔法の薬』だと言って、目薬を差すんですよ?」

 

 皮肉に歪む彼の瞳は、それでも青く美しい。

 リンクの持つ青い瞳は、実はハイリア人としては珍しい色味だった。ただそれだけでも特別な印象を与えるのに、さらにそこにベラドンナから作った目薬を垂らしたのであれば。その効能をゆっくりと思い出しながら、なるほどと独り言ちた。

 狼のように恐ろしい茄子みたいな実が生る、ゆえにベラドンナは別名をオオカミナスビと言う。たしかにベラドンナは多量に摂取すれば死に至る毒草だが、量と煎じ方を間違えなければ瞳を開く効果が得られる。

 それは瞳孔散大。

 

「ベラドンナは『美しい人』という意味の花です。確かに毒花ではありますが正しく煎じれば薬にもなりますし、古くは、特に夜の商いをする女性たちによって、瞳を大きく見せるための薬として使われていました」

「ええ、母も俺の瞳を大きく開かせて、可愛く笑ってと言ってました」

 

 今はきりりと少年らしい横顔が、風に揺られて頼りなくあたりを見回す。

 

「俺、小さいころ、母に女の子として育てられていたんです」

 

 その言葉に、どきりとした。

 ハイリア人男性としては確かに長く残されている彼の髪が、風に揺られて頬に触れるたび、少女の姿が蜃気楼のように見え隠れしていた。あるいは本来は残らなかったであろう少女の幻が、彼の母によって確かに存在していた。

 

「それは、魔よけとかそういうことではなく……?」

「おそらく違います。服も全部女の子の物で、髪も確かもっと背中ぐらいまで長くて毎朝母に編み込んでもらっていました。お人形遊びをするように言われ、棒切れを持って走り回るよりも花冠を好むようにと言われていました。本当に幼いころのことです」

 

 何と答えたらよいのか分からず、思わず私の思考はあらぬ方向へ逃げる。

 実は統計をとってみると男児と女児では、わずかに男児の方が死亡率が高い傾向がある。理由は分からないが、出生と人口を調査する王国の記録では、確かにそのような傾向があったのだ。

 それを知ってか知らずか、あるいは家を継ぐ男児を奪われないよう隠蔽するためなのか、男児に女の子の服を着せる習慣を持つ村は案外多い。でもそれも一時のことだし、ましてや彼のように実の母親が息子の体を傷つける話は聞いたことが無かった。

 また音無く零れ落ちた一滴の涙が、皮肉にも彼の横顔を美しく彩ってしまう。女顔とは言われたくないだろうが、確かにリンクの儚さは一つ間違えば少女のそれだった。

 

「たぶん母は、本当に娘が欲しかったんです。薬にもなるって言い聞かせて実の息子の瞳を大きく開かせて、それで可愛いって喜ばれてもな。……あんなの、俺にとっては毒以外の何物でもなかった」

 

 彼の姿形をいたずらに変えてしまったお母様は、大厄災より以前に亡くなったと確か聞いた。私に仕え始めた時点で、彼はもう身寄りが無かったはずだ。

 ようやく思い出せた家族の記憶でさえ、彼の姿形を苦しめる材料になってしまう。思い出すことが本当に良いことなのか、もはや何が正解なのか分からない。

 私に出来るのは黄昏さんのようにただ寄り添って、彼がこれ以上傷つかないように守ることだけ。

 

「リンク、ごめんなさい。辛いことを思い出させてしまいました。もう帰りましょうか?」

「……もうここまで来たらもう少しだけ。村の中を歩いてもいいですか」

「あなたが大丈夫なら」

 

 無言でうなずく彼の手を取り、村の中ほどの道まで戻る。旅人が物珍しいのか子供たちがたくさん近寄ってきた。どこから来たの、お姉さんたちは誰などと話しかけられながら、たくさんの子供を引き連れて村の中央を歩いて行く。よろず屋さんがあったり染物屋さんがあったり。しかしいずれもリンクは強い興味を示すことなく、横目に眺めるだけ。

 ところが村の中央を流れる川を渡った先で、彼は足を止めた。

 凍り付いたように目の前の光景を見ている。それが一種の儀式のようなものだとは理解しつつも、私もただ息を飲んで村の母親とその子供の後ろ姿に釘付けになった。

 母親は普通だった。子供の姿がおかしい。

 顔立ちは男の子なのに、女の子のスカートをはかされている。先ほどの話を聞いたばかりで、何の間違いかと生唾を飲み込んだ。

 

「これはね、このハテノで男の子を守るための、おまじないのようなものよ」

 

 少し離れた樹の下に居たおばあさんが私たちに話しかけてくるまで、石塚の前で祈りを捧げる母親と女の子の服を着せられた男の子を見ていた。男の子は不貞腐れた様子で母親の服を引っ張って、周りの子供たちも「女の服着てるー!」とからかう。

 しかし母親は村長さんのお宅の下に積まれた石塚の前で、膝をついて深い祈りを捧げていた。

 

「おまじないですか?」

 

 赤や黄色に塗られた石が詰まれている石塚が大小全部で4つ。毎日丁寧にお世話されている痕跡があり、毎日詣でている人がいるようだ。だが女神像でもなく詣でる石塚とは何か。さすがに村の中央にお墓とも思えない。

 

「この石塚はね、大厄災の前に殺された男の子たちを祀ったものよ」

「大厄災の前ですか? 大厄災の時ではなく?」

 

 何か、流行り病でもあったのだろうか。厄災前ともなると私も幼かったのであまり記憶が定かではない。記録も読んだ覚えがない。

 お婆さんは石塚の方に向き直り、母親に倣うように手を合わせた。おそらくこのお婆さんもまた、何十年も前に母としてここで祈りを捧げた人なのだろう。

 

「私もおばあさんから聞いた話なんだけど、大厄災の復活が予言されたとき、年頃の男の子がかたっぱしから攫われる事件があったそうよ」

「どうして、そんな」

「勇者が育つ前に殺してしまおうとした厄災の手先が村を襲ったんですって。もちろんどこまで本当かは分からないけれどね」

 

 それを聞いてリンクがそれと分かるほど大きく息を飲んだ。握る手に力が入り、汗が額から滑り落ちている。

 しかし、そうとは知らないおばあさんは、祈る母子の方を向いて言葉をつづけた。

 

「厄災の復活予言と同時に、ハテノだけじゃなく辺境の村々では年頃の男の子の多くが攫われて行方知れずになったの。でもこの村では、ある母親が自分の息子に女の子の格好をさせて難を逃れた。以来、男の子が攫われずに無事に育つようにと、7歳になるとああして女の子の格好をさせてお祈りするのよ」

 

 本当かどうかは分からないけれどね、と繰り返すおばあさん。

 だがリンクは耐えられなかった。

 1歩2歩と後じさりする足が、そのうち背を向けて脱兎のごとく走り出す。おばあさんに向けてごめんなさいと叫んで、私はその後ろ姿を追った。

 麦藁色の頭を振り乱しながら、脇目も振らずに走っていく彼を追いかけるのは至難の業だった。でも今リンクを一人にしてはならない、それだけは分かる。

 どのような感情を抱え込んでいるのか、想像しがたいにせよ、ともかく強ばった手を握りしめて解いてやらなければ。それは私にしかできないことだとも理解していた。

 だがわずかに、どうしてこんな日に限って黄昏さんが付いてきてくれなかったのだろうかと、恨みがましい思いもちらりと沸き起こる。ハイラルで一番強い彼の脚力に、私では到底追いつけるものではないのだ。

 案の定見失い、村人に尋ねながら姿を探す。

 ようやく見つけたのはぼろぼろの軍旗が掲げられた土台の影。小さく膝を抱えたところに頭を突っ込んで、すすり泣く姿があった。

 

「リンク」

 

 触れることすら、本当はしていいのか分からない。できることならばこの右手で、私の持てる光を少しでも分けてあげたかった。

 でも顔を上げたリンクは、眉を切なそうに歪めて泣きながら笑っていた。

 

「あの話、母さまだ……。俺は憎まれていたわけじゃなかった」

 

 ぼろぼろと流れ落ちる涙がハテノ村を駆け抜ける風に飛ぶ。百十数年にわたり重しとなって彼を苦しめ続けていた少女がその姿を消し、本来の少年が息を吹き返すことを許される。

 

「俺、生まれてきてよかったんだ」

 

 量や使い方を間違えると薬は時に毒となる。

 それは愛情も同じことなのだと、私はこの時初めて知った。