狂犬ちゃん - 2/25

〇月〇日

 まずは手近なハイリア湖での修行に向かうよう予定を調整された当日、一緒に向かうはずのリンクは現れなかった。

 代わりに私の護衛に着いたのは御父様の近衛騎士で、随分と歳をいったその人はとても渋い顔をして「本日はリンクの代わりを務めさせていただきます。姫様の身の安全は私が命に代えましてもお守りいたします」と頭を下げた。その言葉に何か不穏な物を感じるも、もはやあとには引けないのでただ頷き、私はハイリア湖へ向かった。

 ハイリア湖での修行は溺れる寸前の、もはや入水だった。

 体に重りを巻き付けて浮き上がらないようにして、背が立つか立たないかのところまで水に浸かって祈りを捧げよという。なんでも古くはハイリア湖の湖底に神殿があったとかで、そこにまつわる力を得るためにはより深みにて祈りをささげる必要があるとのことだった。

 私はゾーラ族の様に水中で呼吸することなどできない。もちろん息が続かずに溺れ、あわやと言うところで壮年の近衛騎士が岸まで引き上げてくれた。だが神官たちは一向に満足する様子はなく、日が落ちるまで幾度となく修行は繰り返された。

 だが結局、その日も私の力は目覚めなかった。

 ぐったりとした帰りの馬車の中で、壮年の近衛騎士は項垂れていた。

「姫様、城に戻りましたら、奴を救ってやってください。あいつは何も悪くない」

 何のことか分からなかったが、夜半に城についてすぐに分かった。

 ざわつく城内、血と叫び声、そして御父様が私を呼ぶ声。疲れも忘れて走っていくと、彼は剣も持たずに血に塗れていた。辺りに転がるすでに息のない人型は見たことがある顔ばかり、全て私に強度の修行を強いた者たちばかりだった。

「ゼルダ、そなたの声ならばまだ聞こえるやもしれぬ。あやつにこれ以上罪を重ねさせるな……!」

 御父様の手には口輪があった。犬に付けるようなそれは、だが人に付ける大きさだった。これ以上の流血は避けられない。それ以上に、もう彼に血を流させたくない。その一心で名を呼んだ。

 その一瞬だけ、青い瞳に光が戻る。

 逆立った気配が大人しくなる。でもそれは彼を捕まえるための隙でしかなかった。

 額に手をやり、血濡れた頬を撫でる。うっすらと安堵の表情を見せたところで、口輪を彼の顔に押し当てた。さらに他の騎士から鎖の端を手渡され、意味を理解してこれを体に巻き付ける。私が触れている間、リンクは全くの無抵抗だった。

 口輪と鎖と、これではまるで獣ではないか。でもそうするよりほかに、彼を止める方法は無い。彼を諫めるほどの力を持つ騎士はいない。

 それから、リンクは私の膝に頭を乗せて目を閉じた。穏やかな寝息。あどけない寝顔。再び目覚めたとき彼の人格は一体どうなっているのか、想像もつかなかった。