case-厄黙
「あの……」
俺は両隣の上官を見た。直接の上官ではない。
顔に見覚えはある、確か騎馬隊のお偉方だった。まともに話をしたことはなく、随分と昔に少し会話をした記憶がある程度。
その上官二人と、さらに別隊の騎士が複数人、合わせて十人ほどに夕方声を掛けられた。退魔の騎士殿、酒を飲みにいかないかと。
もちろん最初は断った。まだ姫様の護衛があったことだし、同じ隊ならまだしも別隊の人などと酒を酌み交わしてもしょうがないという思いもあった。ところがその誘いがかなり強引で、しかも直接ではないにせよ上官、さらには姫様もたまには行って来たらどうですかとおっしゃるので仕方が無く付き合うことになった。
「先日の戦い、見事であったとか。コログの森で出会ったという可笑しな占い師についてだが」
「はい、えっと……」
「いや、それよりも退魔の剣を抜いたというときの」
どうやら先日のコログの森解放戦において、俺が退魔の剣を抜いた時の話が聞きたいらしい。案外、そういう輩は多かった。
どうやって抜いたのかとか、自分にも触らせてくれだの、剣の声はどのような、などと根掘り葉掘り聞かれる。それは別に構わない。構わないのだがけれど。
「あの……」
少し前から厠に立ちたかった。
てっきりもっと安い料理屋のごちゃごちゃしたところだとばっかり思っていただけに、十数人が入るような個室のある高い料理屋だとは思わなかった。戸口は一つで俺は奥に座らされていた。お偉いさんに両脇を固められ、向かいにも騎士が興味津々で様子をうかがっている。
しかも高い料理屋だけあって酒の質がいいのか、ちょっと飲んだだけなのに随分と膀胱が悲鳴を上げていた。行きたい、厠に行きたい。
「すいません、ちょっと厠へ……」
これ以上は駄目だと思って本気で席を立つ。仮にも上官、そんな人の前で粗相などできようはずもない。
ところが、足をぎゅむっと力いっぱい踏みつけたのは、その上官の軍靴だった。
「いてっ……」
「許可なくどこへ行こうと言うのか」
「申し訳ありません、厠に行かせていただけませんか」
退魔の剣を抜いたからと言って、あるいは姫様付きの騎士になったからと言っても、俺は結局一介の騎士でしかなかった。ところが上官は近衛騎士だ。決して逆らえるものではない。
膝を擦り合わせたくなるのをぐっとこらえて、一度は上げた腰を座面に戻して背筋を伸ばした。軍隊というところはこういうきらいがある。
厠一つとっても、上官の許可が必要になる。確かに今は職務中ではない。それでも逆らえないのが階級差というものだった。
「駄目だと言ったらどうする」
「どうすると言われましても……」
困る。困る以外の何物でもない。漏らしたらどうするんだ。
言葉を濁してその上官の顔色を窺った瞬間、この場の意味を理解した。と同時に足が踏みつけられていた足に誰かの手が掛かる。
「何をなさるのですか!」
上官がにんまりと笑うと同時に腕まで押さえつけられる。目いっぱいに手足を動かそうとしても、机の下から伸びてきた手と上から力いっぱい踏まれた足は退かせなかった。
相手は四人がかり。止めてくださいと声を上げる間もなく、椅子の足に両足首が紐でくくられる。嘘だろと足を蹴り上げてでも縄を緩めようとする間に、今度は後ろ手に結ばれる。
「我慢大会でもしようかと思ってな」
椅子ごと個室の中央に引き出され、上官が指示に他の騎士たちが寄ってたかって俺の上着を剥ぐ。あっという間に半裸にされてしまった。これから一体何の我慢大会かと身構えたところに、先ほどまではあれほど優しそうだった上官の陰湿な笑いを湛えていた。
「口を開けろ、もう少し追加してやるからよ」
何を、と言われなくとも分かった。控えた他の騎士が持っていたのは樽ジョッキ一杯の麦酒。あれを飲まされる、それは酔いが回るのはもちろんのこと、もっと尿意が高まる。口など開けるもんかと思って奥歯と股にぐっと力を込めた。
ところが頑として俺が口を開けない構えなのを見て、別の騎士が俺の鼻をつまむ。
「ぁがっ……かはっ……」
「たっぷり水分突っ込んでやれ!」
口に溢れるほどの麦酒を注ぎ込まれ、飲まないようにと思って吐き出してもいくらかはのどの奥の方へと流れ込んでいった。ちゃぽんと胃が膨れると同時に、またずしりと膀胱が重たくなる。
「おねがい、です……ほどいて、ください……」
辛うじてくっつく膝を擦りながら、俺は目の前に仁王立ちする上官を見上げた。しかし返されるのは下卑た笑みだけ。
はあはあと息が上がる。本当なら足を組みたいぐらいに我慢している。でも縛られた足で膝と太ももを合わせるのが精いっぱい。
その間にも尿意はどんどんと高まり、腹が痛いほどに水分をため込んでいる。今や遅しと水分が竿へと圧を掛ける。
「陛下の覚え愛でたき退魔の騎士殿がどんなもんかと思えば、ただの小僧ではないか」
それで、だから、こんなことをされるのかと思うと腹が立つ。軍の中には我こそは勇者であろうと意気込む騎士が多くいたのは知っていた。それら全てを出し抜いて、姫を守って剣を抜いたのが成人したてほやほやの若造だと言うのが気に食わない、そういう輩が多くいるのも知っていた。
でも今はそれどころじゃない、漏れる。出ちゃう。騎士としての矜持なんかこの際どうでもいい。
「はっ……おねが……い、します……ふっ、あぁ…ほどいてぇ………ッ」
「いいツラになってきたな」
背筋に自分の汗が伝うたびに、力を込めた股間にゾクゾクする波が押し寄せる。何度も訪れる小さな波に、体が震える。こんなの、ヒノックスの群れに放り込まれた方がマシだ。
また鼻を摘ままれて何杯目かの麦酒を注ぎ込まれたとき、ひときわ大きな波が来る。だめ、耐えなきゃと思って膝を擦り合わせた。
「あっ………はぁ……んっ、おね…………だ、あぁ……」
あらんかぎりの力を括約筋に込めると、目じりがじゅっと熱くなる。苦しくてもう歯を食いしばることも出来ずにがくがくいっていた。
そんな俺を楽しそうに一歩引いたところで輪になって騎士たちは眺めている。俺が漏らすところを、失態するところが見たくて集まってきた奴ら。誰一人として同情してくれそうな人はいない。
そのど真ん中で、みっともなく声を上げる。
「はっ……で、ちゃ………んッ……」
祈るように上げた顔。その瞬間、後ろから手が伸びて、必死でこらえていた膝が割り開かれた。
「ひぁッ……!!」
じょわっ
音がする。
生ぬるい、酒じゃない物が股間を濡らす。出た。出ちゃった。
カーキ色のズボンの真ん中が、灰色に染まる。しっとりと尻が濡れた感覚もあった。
「ふあぁッ……だめ、やらっ………!」
先っぽを濡らしたのを見て、一瞬だけ下卑た笑い声が上がった。待ってましたとばかりにはやし立てる声が頭をガンガンと揺らした。
ところが、膝を割り開かれてもなお、俺は耐えていた。もう言葉が出てくることもない。弾む息と震える腹筋。
「強情だな」
「はっ…はっ…………はぁっ…………」
もうだめ、全部出ちゃう。だめ、出したら明日からなんと言われるか。何より、姫様に嫌われてしまう。そんなの嫌だと思ったけれど、もう頭もうまく回らなくなっていた。
痛くなるほど目をつぶって天を仰いでいた頭をひっつかまれて下を、自分の股間を見させられる。何をされるのか分からずに思わず開いた目の前に、もう一人分の手が後ろから伸びてきた。
「もう限界だろう。楽になれよ、退魔の騎士殿」
耳元で酒臭い息を吹き込まれながら、手の伸びた先に悲鳴も上がらなかった。
自分でも固く張ってそれと分かる膀胱を上からぎゅっと押される。息が止まるのと同時に、「しょわっ」という音が聞こえた。
しょーーーーーーーーーー。
とても静かな音だった。でも、場にいる全員が押し黙って耳をそばだてる。誰もしゃべらない、ただ俺の漏らす音を全員が聞いている。
「あっ、はっ、ぁ……!」
かっぴらいた目の前で、椅子に広がっていく熱い液体。股間はもちろん尻から太ももまでぐっしょりと濡らす。その臭いにあてられて、頭がくらくらした。
もう無理、止まらない。
膝を抑えていた手は退いたのに、俺は自分の漏らしているところをまじまじと見ていた。自分がどうなっているのかもよく分からない。ただ広がっていく水溜まりは、もちろん椅子には収まらずに溢れて床へと滴る。
俺の竿から溢れる「しょわあああ」という音と、椅子から尿が落ちる「ぴちゃぴちゃ」という音、だいぶ経ってから楽しそうに手を叩いてはやし立てる男たちの声。
しょわわわ……しょわ…。
「なんだ、もっと出るだろ」
面白がった後ろの騎士がもう一度下腹部を押す。押すたびに尿道に残っていたものが押し出されてくる。竿を振ってないんだから出るものは出る、でも騎士たちは面白がって何度も俺の膀胱を押した。
しょわ……。しょわわ……。
もう抵抗する気力もなかった。こんな情けないところを見られたら、明日から何と言われるか。
何より姫様に嫌われる。
ようやく尿意がなくなった代わりに、頭の中は姫様でいっぱいになっていた。
強要されたとはいえ漏らしたことが姫様に知られたら、俺は多分耐えられない。姫様がどう思ったとしても。でもこいつらの狙いはまさしくそれ、お付きの騎士が漏らしたなどという醜聞を広めたいがため。
未だ溢れた尿が滴るに混ざって、涙がぼろぼろ落っこちた。漏らしたのは恥ずかしいけど、それよりも姫様に嫌われる方が嫌だ。
「あなたたち! 一体何をしているんですか?!」
料理屋の個室の扉が開いたところに、見覚えのある顔があった。インパ様だった。
「帰りが遅いから様子を見て来るようにと姫様に言われましたが、これは……」
助けが来たと思ってインパ様の顔を縋るように見た。でも、向こうがそっと目を逸らしたのを見て、ハッとして俺も顔を伏せる。
酷い失態を犯したところを、仮にも女性の執政補佐官に見られた。助けではあったが、でももう遅い。
「集団暴行の現場として抑えてよろしいですね?!」
いきり立った声がやけに頼もしく聞こえた気がした。
漏らしてしまって熱くなる頭が朦朧とする。酒が回り過ぎたのかもしれない。それよりも明日からどうしよう、姫様にどんな顔をして会えばいいんだろう。そればかりが頭の中をぐるぐると回った。
「ともかく替えの服を持ってきますから……、その、災難でしたね」
インパ様の同情の言葉に、どこか聞き覚えがあった。なんだろう、幼い頃に粗相をした時に母に言われたのだろうか。
縄をほどいてもらいながら、ふわふわする頭で何かを思い出そうとした。でも靄がかかったように思い出せない。たぶん飲みなれない酒のせい。我慢できず、唇を噛む。
俺はびたりとズボンの張り付く下半身から目を逸らして、うつむいたまま濡らした椅子から立ち上がった。