その日は本格的な夏が始まる前に、学校裏のケヤ池で着衣水泳の授業をしていた。
夏休み前の子供たちに、服を着たまま泳ぐ方法を教えてあげて欲しいと、シモン先生に言われての特別課外授業だった。まだ学校に通っていないナララやタチボウも今日は一緒だ。
その授業が終わり、あとは自由に泳いでいいよと言ったところで、「リンク先生!」と大声で呼ばれた。アオタとセファーロの二人が、池の脇の大きな木の方から手招きをしている。
「ん? どした?」
「先生来て! なんかいる!!」
「早く! 逃げちゃう!」
なんかって、何だ。逃げるって何が。
シモン先生に他の子たちを任せて二人の元へ行くと、木の幹にでっかい黒い虫がいた。真っ黒でツヤツヤしてて、六本脚をうごうごと……あれ、でもゴキブリではないな? とちょっと考えてから手を伸ばす。捕まえた。
二人が「わっ」と驚くのをよそ目に、その黒光りする虫をじっと見る。
「甲虫だけど、コレ……なんだ?」
捕まえたのは小さな子供の手のひらほどもある黒い大きな甲虫だった。
でも知っている三種類のカブトムシと色も全然違うし、なによりも角が一本ではなくハサミみたいな二本の角がシャキシャキと動いていた。挟まれたら痛そうだ。
俺が目的の虫を捕まえたのを機に、二人は餌を前にした燕の雛みたいに一斉に口を開く。
「先生これ何?! アオタが見つけたんだ!」
「ガンバリカブトの仲間だと思うんだけど!」
「でも色全然違うよね?!」
「なんていう虫? もしかしてめっちゃすごいやつ?!」
お、おう……。子供の勢いってすげぇ。
二人とも見知らぬ虫を発見したがちょっと怖くて、先生である俺を呼びに来たということか。ちなみにシモン先生がホッとした顔で虫を無視しているのは見えています。
でもこういうのは残念ながら俺は専門外、詳しいのはゼルダ先生の方だ。実際にこれが何という虫なのか、見たこともないし食べたこともない。そもそも食べられるのか、食べられたとしてもちょっと固そうだ。
せっかく聞きに来てくれたのに答えられなくて申し訳ないなぁと思いつつ、ぐるぐるとその虫を眺めまわした。それでもやっぱり分からない。
「ごめん、先生も初めて見るから分からない。カブトの仲間だとは思うけど……」
「ええー。先生なのに分かんないのー?」
ほとんどの大人は君たちが思っているほど実は大人じゃないんだぞ。
とはいえ、分からないで終わる俺ではない。代替案はもちろんあった。
「代わりにゼルダ先生に聞いてくるから、それでいい?」
「え、ゼルダ先生に聞いてくれるの?」
「この後、別のところで合流して調査に行く予定だから聞いてみるよ」
「ホント? やったー!」
本来ならば自称博士のタヌモキさんか、カブトムシ愛好家のテリーにでも聞けば早いんだろう。でもタヌモキさんは山野をほっつき歩いていて今どこにいるのか分からないし、テリーに見せたら物々交換するまでまとわりつかれること間違いなしだ。下手したら夜道でゴロツキにマジで襲われかねない。そうでなくともハイラルには意外と虫好きは多い。
と、言うことで、俺は姫様に見せるべく、その黒光りする虫を生きたままポーチに突っ込んだ。
「じゃあ何か分かったら教えるよ」
「よっしゃー! じゃあゼルダ先生によろしくねー!」.
「ちゃんと聞いてね! 食べちゃダメだよ先生、またねー!」
二人にぐいぐいと背中を押され、半ば強制的にプルアパッドでワープさせられた。行先は始まりの大地のリオゴコの祠だ。
今日は午後から、理由は分からないが時の神殿跡の調査がしたいと姫様から頼まれていた。
「別にこんな急いで来なくても、よかったんだけどなぁ……」
あーあ、と台地の西端にある祠の前に立ち尽くす。
午前中に着衣水泳の特別課外授業をして、トンプー亭で昼ご飯を食べてから移動するつもりだった。姫様はカカリコ村からのんびりとプルアあたりに付き添われ、始まりの台地へ向かっているはずだ。合流するにはまだ早い。
でもあのまま悠長に昼ご飯食べていたら、子供たちに早く早くと言われ続けただろう。どこで時間を潰したもんかなぁと精霊の森へ立ち入った俺は、見上げた崖の上にあるものを思い出してぽんと手を打った。
「姫様が来るまで、温泉に入ろう!」
着衣水泳の後で服はベショベショだ。単に服を脱いで乾かすでもいいのだが、回生の祠の消えた洞窟には温泉が湧いている。これを見逃す手はない。
「おんせんおんせん!」
多種多様なものがストックできる俺の謎ポーチだが、如何せん風呂だけはストックができない。
子供の頃は熱いお湯に浸かることの何がいいのか全然分からなかったが、ようやくこの歳になって温泉の良さが分かるようになってきた。どうして古代のゾナウ族は温泉のゾナウギアを開発しなかったんだろうかと不思議に思うぐらい温泉は良い物だ。もしかしてラウルが風呂嫌いだったんだろうかと、丸洗いされてブルブルと犬ドリルするハイリア犬にラウルを重ねる。初代国王への不敬も温泉の欲望の前には無力だった。
そういうわけで、俺はるんるんと以前は回生の祠だった洞窟にたどり着く。
存在しない人目なんか気にするわけもなく、ぽいぽいぽいと適当に服を脱ぎ捨ててじゃぼんと飛び込んだ。
「あ~~~ぎもぢぃ~~~~」
これでも酒でもあったら最高と思ったけれど、この後姫様の調査に付き合う予定だったのでそれだけは我慢した。これでも一応大人の振りはしなければならないので。
でも小一時間待ちぼうけを食らうところが、温泉に入れるなんて最高じゃないか。……早くこっちに飛んでよかった~。
ボヤボヤとそんなことを考えていた時、脱ぎ捨てた服の中からガンバリカブトが飛んだ。
本当に、読んで字のごとくぶっ飛んだ。ブーンと自力飛行をするのではなく、すぽーんと服の隙間から吹っ飛ばされた感じだ。
「え、……なんで?」
どうやったら服の中のガンバリカブトが飛ぶんだ?
おいおい、どんな怪奇現象だよと思いながら服をひっぺがす。その最中にももう一匹、今度はツルギカブトが吹っ飛んだ。
「なんでぇ?」
脱ぎ捨てた服の下にあったポーチの口が少しだけ空いていて、その隙間からさらにヨロイカブトも吹っ飛ばされる。いったい何がカブトたちを吹っ飛ばしているのか、俺のポーチはそんな危険物入っていたっけか、と見守っていると、のっそり現れたのは先ほどの黒光りする甲虫だった。
飛ばされたカブトたちは、しかしながらすぐに舞い戻ってきて、角を押したてて黒い甲虫に立ち向かう。互いの角、と言っても黒い甲虫はハサミの形だが、それを突き合わせてお互いを牽制し合う。
だがカブトたちの長い一本角が相手の体を掬い上げる前に、ハサミ形の二本角がバクりと体を挟み込んだ。そのまま小手首を返すみたいにポーイとカブトの体をひねり投げる。
こうしてガンバリカブトは二度目の敗北を喫した。
「おお、すげぇ!」
目の前で始まったのは、まさに自然のカブト相撲だった。
何がいいのか黒いやつは俺のポーチの前に陣取って、攻め来る青緑黄三種のカブトをばくりとハサミ込むとひねるようにして放り投げる。カブトたちも何度敗れても挑みに行くのだが、どうにも黒いやつの方が一回りほども大きくて手も足も(正確には角だけど)出ない。
そういえば小さい頃、近所の悪ガキは大体自分のカブトに名前を付けて飼っていて、みんなで持ち寄って戦わせて一番を決めるのが夏の恒例行事だった。中にはでっかいカブトを連れてくるおじさんまでいて、子供ながらに大人げないおじさんもいるものだと思っていた。(たぶん正確にはおじさんって言うほどの年でもないが、俺たち子供にはおじさんに見えていた。子供って残酷だなと、大人になってから思う次第である)
でも今ならおじさんの気持ちも分かる。カブト相撲はめちゃくちゃ楽しい。今も俺は温泉に半分浸かりながら、四匹の大乱闘を囃し立てた。
「ほらがんばれがんばれ、黒いのに負けるな」
緑のヨロイカブト、黄色のガンバリカブトが順に脱落し、残るは青いツルギカブトだけとなった。一回りも大きいそいつに向かって立ち向かっていったツルギカブトだが、またしても挟まれぐるりとねじられ放り投げられる。
「ああーツルギも負けたかー!」
もはや温泉からは上がって縁に腰かけ、脚だけジャボジャボしながらまっぱで観戦していた。
黒い奴が勝ち誇ってハサミ形の角をしゃきしゃきとする。まるで「俺は誰にも負けないぞ」と胸を張っているようだった。
それが俺の悪い心に火をつけた。
「よーし、俺とも勝負だ!」
誰が言ったか、男はいくつになっても心に少年が住んでいる。
かく言う俺にだってやんちゃな少年の一人や二人はもちろん居た。時々そいつらに「パンイチで遊ぼうぜ!」とか「スタルヒノックスの目玉運び競争しようぜ!」とか誘われるので、百歳を超えた今もまだ付き合ったりすることもある。楽しい。めちゃくちゃな解放感。なお姫様にはバレないように頑張っている。
そして勝ち誇った黒い奴を見たとき、その少年心がとてもとても馬鹿なことを言い出した。
『おい、あの黒いのと勝負しようぜ!』と。
「自分より小さい奴ばっかりで楽しくないだろ~!」
何を思ったか、と自分で言うとまるで己に非が無いように聞こえるが、確かにこの時の俺は何も考えていなかった。わくわくスキップする少年心を止められなかった。一人だから冷静にツッコミに回るだけの人手が無かった、と言い訳だけは一人前にさせて欲しい。
おもむろに俺は自分のチンコを扱いて、緩く勃ち上がった先っぽを黒い奴の頭先へ突き出した。
文章にしても馬鹿だが、絵面にしたらもっと馬鹿である。
「おらおら、どうした、臆したか?!」
チューリに言われるばっかりで、誰かに一度は言ってみたかったセリフを言いながら、自分のチンコを腰ごと前に突き出す。困惑気味に後ずさりする黒い奴を追い立てた。
そりゃ黒い奴だってわけ分からないだろう。今まで自分と同じ甲虫の類と戦っていたのに、次なる対戦相手は温泉滴る肉棒だ。どんなに固くさせたところでたかが知れている。ってか、顔面にチンコって考えただけでも最悪では?
でも一度タガが外れた俺は調子に乗って、後ずさりする黒いのとチンコを戦わせようとずいずいと前に出た。いっぱしの剣士なら大失格の深追いだが、悲しいことにこの時の剣(比喩)を振り回していたのは無邪気な少年心である。
何なら黒いのをチンコでひっくり返して、己がチンコで勝利をもぎ取ろうとさえしていた。思い上がりも甚だしい、俺はこのときは自分のチンコにも勝機があると考えていたのだ。
「へへっ、これがほんとの兜合わせ……って言いたいところだけどお前、カブトっぽくないんだよなぁ~っあ゛ッッッッ」
のけぞった。
黒いのが俺のチンコを挟んでいた。それはもう、むぎゅっと。
熱い抱擁であった。
「い゛―――――――――――――――ッ」
マジで声が出ない。息ができない。痛い。ほんっきで痛い。
回生の祠に再搬送されるかと思うぐらいの痛みに、股間を押さえて地面にひれ伏す。痛い。痛い痛い痛い痛い!! ってかここが回生の祠!
誰だ、チンコで兜合わせとか言って遊んでたやつ! 俺だ! 馬鹿か俺!!!!
ヒューヒューと息をかすれさせながら、どうにか自分の股間に食いついた黒いのを確認する。痛い。げんなりするほどチンコは萎えていて、しょんぼりと悲しそうに下を向いていた。痛い。
その先っぽの方を、次々とカブトたちを放り投げた無敗の黒い奴がばっちり挟み込んでいた。痛い。ハサミの内側にある棘が返しのように、俺の少々余っている皮に食いこんでいる。痛い痛い痛い。
「ごめんてー、お願い放してぇ――――――!」
涙ながらに訴え、ゆっくりとぶら下がった黒い奴の背をツンツンする。しかしそれがさらなる逆鱗に触れたのか(しかしながら昆虫に鱗はない)、さらにむんぎゅりっと挟み込まれて、俺は再び悶絶した。
駄目だ! これじゃ去勢されちゃう! 虫に去勢されるとか末代までの恥じゃなくて、そもそも末代が存在しなくなる!!
こうなったら最終手段だ。
「くっ、……お、おい! チンコ離さないと温泉入っちゃうからな? チンコ離さないとお前溺れちゃうからな?!」
大きいと言ってもたかだか手のひらに乗るサイズの虫である。その虫相手に脅迫じみたい願いをする俺は何とも情けないたい。しかしながら事態はかなり切迫していた。
マジで千切れる五秒前なんじゃないかと思うぐらいに痛過ぎて、あうあう喘ぎ泣きながらお湯の方へと足を向ける。と言ってもすたすた歩くなんて無理中の無理。すり足でじわじわと、黒いのを揺らさぬように細心の注意をしながらの牛歩だ。
その時、いつもならば嬉しい声が、最悪のタイミングで聞こえた。
「リンク、そこにいるのですか?」
んあああああああっ。なんで姫様もう来たの!
到着が早くないですか。どうしてもう少しのんびり来てくださらないのですか。五分前の五分前行動が求められたのは百年前の公人時代で、今やそんな時間にきっかり生きる必要なんかないでしょう。
罵倒なんてもってのほかとは頭では理解していても、思わず拳を握りしめて心の中で姫様に怒鳴ってしまう。
俺のマスソがどうなってもいいのですか! と。
「い、います!」
慌てて声を押さえて平静を装って答えた。すると姫様は顔を見ずとも分かるほど気配が喜色に転じた。
「回生の祠も見ているのですか? そうですね、確かにここも必要かもしれません。では私も……」
「だっ、駄目です! 温泉入ってるんで!!」
コツコツと地面を叩く靴の音が途中で止まった。
回生の祠が消えて温泉になってしまったとき、真っ先に調査に入ったのは姫様だ。だからここにハイラルの誰も知らない秘湯があることもちゃんと知っている。加えて午前中にハテノで着衣水泳の特別課外授業をしていたこともご存知なので、俺が温泉に入っていることをいいように解釈してくださったのであろう。
姫様は「なるほど」と頷いたようだった。
「ごめんなさい、入浴中だったのですか。でしたら外で待っていますから、着替えたら出てきてください。予定通り、まずは時の神殿跡の調査に向かいましょう」
大変ありがたいことに、我が主君は着替えの時間をくださるようであった。一拍遅れで、もしかして返事をせずにいない振りをすればよかったのではと思ったが、時すでに遅し。
こうして俺は、チンコの先っぽに黒いでっかい甲虫をぶらぶらくっつけたままパンツを履き、服を着ることになった。なお、百年前から変わらずの上向き収納である。
収納している途中に放してくれないかなぁと天に祈るも、駄目だった。少々力が緩みはしたものの、黒いのは俺のチンコの何が気に入ったのかぎゅっと挟み込んだまま放さなかった。包容力ならぬ抱擁力が半端ない。
「お、お待たせしました……」
姫様は洞窟から出てきた俺を振り返り、すぐに首を傾げた。さすがの俺でもげっそり加減が隠し切れない。
「大丈夫ですか? 湯あたりでもしました?」
「当たったのは湯じゃなくて罰ですかね……」
「……ばち?」
誰が上手いことを言えと。
でもそんな冗談でも言わないとやってられなかった。
ずきずきとした断続的な痛みを急所に抱えたまま、姫様の後ろをついていく。正直言うと歩くのも結構辛かった。脚を前に出すたびに蹴られているとでも思ったのか、ぎゅっぎゅっと食い込みを強くしていく。
息も切れ切れで時の神殿跡にたどり着くと、すでに調査を始めていたプルアにも目を丸くされた。
「リンクどうしたの? 珍しく顔色悪いじゃん」
「そうなんです、回生の温泉から出てきたときからこうで……」
「悪いのは頭かもしれない」
「それは否定しないけど……、体調悪いなら座ってていいわよー」
「そうですね、リンクはちょっと休んでいてください」
本当に申し訳ないが、この時ばかりは二人の言葉に甘えさせてもらった。
下草の生える地面に腰を下ろし、苔むした石の壁に背を預ける。一枚服の下で、なおも俺のチンコを抱きしめ続ける黒いのを睨んだ。幸いにも服の上からでは、どんなにデカかろうがパンツの中に虫が入っていること自体は分からない。
しかしながら奴がチンコを手放す気配はまるで感じられず、絶望しかない。俺のチンコのいったい何が気に入ったんだろう。ゴロン温泉等で観測する限りでは、ごくごく普通のありふれたハイリア人チンコだと思うんだが……。と思ったところでハッと気づいた。
「いや、違った。気に入ったんじゃなくって、気に入らないから挟まれたんだった……」
世紀の大発見をしたような気分になったが、一回顔を上げて深呼吸をする。俺が黒いのに勝負を挑んだのがそもそもの原因じゃないか。
挟まれて当然とまでは思わないが、少なくとも気に入られているわけではない。だったら放してくれればいいのに、何だってこいつは気に入らない物をずっと抱きしめているんだろう。例えるならオエーって言いながらライクライクの胴体をずっと抱え続けるようなもんじゃないだろうか。俺なら耐えられない。
「ハッ、これがメンヘラ、……ってコト?!」
メンヘラというのがどういうものか実際はよく分からないが、どんなに立派なブツを持とうが、嫌いなものをずっとぎゅっとしてるのはダメだと思う。ぎゅっとしていいのは干したてのお布団か洗い立ての馬とハイリア犬だけだ。NOチンコ。
……だめだ、痛過ぎてまともな思考ができていない。こんなことではチンコを手放させる良い方法など思い浮かべられるはずもない。
なんならシモの毛に六本脚が絡まって、うごうごするたびになんか毛が引っ張られて痛い。チンコの痛みに比べたら何てことない痛みだけど、ちくちくぷちぷち、もしかしたら下半身が円形脱毛症になるかもしれない。シモの毛に白いものが混じり始めて愕然としたという中年男性の話は聞いたことがあるが、頭よりも先にシモの毛がハゲた人の話は聞かない。
「くそ、どうしたらいいんだ……っ」
ローメイ島の上層を目の前にして、ゾナウギアの耐久もガンバリゲージも足りなくなったとき同じぐらい頭を抱えていた。
一か八か、二人の目を盗んでパンツに手を突っ込んで黒いのを引っ張り出してみようか。それで黒いのがすんなりチンコを放してくれるかどうか。万が一にもパンツに手を突っ込んでいるところを見られたら弁明のしようがない。変態のそしりは免れない。姫様の前では一応常識人ぶっていたい。
「いや待てよ……? 見られなければいくらでもパンツに手を突っ込んでも許されるのでは?」
逆転の発想とは恐ろしいもので、要はこの場を離れさえすれば俺は再び全裸にでも何でもなれるのだ。そう気が付いた時には痛みも何のその、立ち上がって授業中の生徒よろしく右手をまっすぐに上げていた。
「っ、すいません! ちょっと用を足しに行ってきます!」
ズボンとパンツを下ろしても変に思われないし、この場所から動くにはまっとうな理由だ。
我ながらナイスアイディアと思ったのだが、サッと姫様の表情が曇った。
「大丈夫ですか、リンク。そんなに具合が悪いのなら今日は帰りましょうか?」
「えっ、いや、そういうわけじゃなくて」
「吐きそうですか? それともお腹の具合が悪い?」
あ、そういう心配を、されている……?
握りしめた雑草を放り投げてこちらに来られるので、慌てて距離を置こうとするも股間のあいつが素早く動くことを許してくれない。むぎゅむぎゅと突き立てられた棘がさらに深く刺さって、たまらず股間を押さえてその場にうずくまった。
「――――――――ッてぇ……!」
我慢ができない。もう誤魔化しきれない。
今ここで全裸になりたい。一刻も早くチンコを解放してやりたい。でもそれを止めるだけの理性があるのが悔しい。
慌てて背中をさする姫様に申し開きをしたいけれど、申し開きをした瞬間に全てが終わるのが分かっていて唇を噛み締めた。
なんで俺は黒いのとチンコ相撲をしようなんて馬鹿なことを考えたんだろうか。ほんと、なんでなんだろうか。少年の心に気を許すべきではなかった。
「リンク大丈夫ですか? お腹が痛いの? プルア、どうしましょう!」
「マジで珍しいわね、剣士クンが腹痛でぶっ倒れ……ん?」
んん? っと赤ぶち眼鏡が冷や汗をかいて倒れ伏す俺をまじまじと見る。特に手の位置を見る。
あ、バレたなと思った。
途端にジト目になって、百戦錬磨のプルアがニヤリと笑った。
「リンク、どこが痛いの? ちゃんと言ってみ」
「……お、…………お、なか」
「おなかぁ?」
くそくそくそ! 分かってて俺の口から言わせようとしてやがる!
でもお腹が痛いと素直に信じてくれた姫様が、携帯用の救急セットから胃腸の薬を出そうとする。ごめんなさい、たぶんその隣にある隣の虫よけとかを撒いてもらった方が効くやつです。
俺が言い出す前にプルアが無言で姫様の手を止めて、フルフルと首を横に振った。
「え、でもお腹が痛いって……」
「リンクぅ、違うわよねぇ?」
「違うのですか?! そんな、リンク駄目ですよ。嘘を吐いては正しい治療ができません!」
その通りです姫様。でも時として嘘が人一人の人生を救うこともあるんです。できる事なら一人で処理したいのです。今すぐにでも服を脱ぎ去って池に飛び込みたいんです。それで助かる息子があなたの目の前で苦しんでいるんです。ご理解、ご了承のほどよろしくお願いいたします。
そう伏してお願いするも、もはやプルアが完全に理解した顔で、許してくれなかった。
「ほーら、姫様もどこが痛いのかちゃんと言いなさいっておっしゃってるでしょ? 言いなさいよ、お?」
「……お………」
「お~?」
「…お……、おまたぁ…………! お股が痛いです!!!!」
「そうよねぇ! 手で押さえているはお股よねぇ~?!」
チンコの先、という直截的な表現をしなかった自分を猛烈に褒めたい。
でもお股と俺が言った瞬間の姫様の表情は一生忘れられないだろう。ギュンと音がするほど視線鋭く俺の股間を凝視し、キラキラと目を輝かせ始めた。
「リンクはお股が痛いんですか!!」
「……はい、お股が痛いです…………」
「なるほど! ではまずズボンを脱ぎましょう!」
百年前のハイラル王家では、医療目的という大義さえあれば、人の体には触れて良いと情操教育していたのかもしれない。とんでもない教育方針に、かつてここで俺に頼みごとをしたヒゲもじゃ陛下を恨みがましく思う。貴方の娘さん、自分の騎士のベルトを引っこ抜くのに何の躊躇もしませんよ、と。
さっきまで興味関心が向いていた時の神殿跡の調査などそっちのけで、姫様はさっさと俺のズボンからベルトを全部引っこ抜く。抵抗する間もなくチャックを下ろされ、それどころか背を丸めて半泣きの俺に見えづらいから地面に転がるようにと命じた。
本当に手際が良くてびっくりです。どこでそんな技術を身に着けられたのですか。
下半身パンツ一枚になって上向きに寝ころぶ俺を見て、姫様はふむと一つ頷いた。
「確かに、パンツの中に何かが居ますね」
「パンツの中に何かいるってどういうことよ」
「これは事故で……」
「事故でパンツに異物は混入しないわ」
「ひとまず、開けますよ?」
まるでパンドラの箱でも開けるかのように、姫様のたおやかな指がパンツの縁を掴む。ちょっぴりひんやり、すべすべの指にあやされるみたいにして、俺は仕方がなく腰を浮かせてパンツを脱がされた。
がっちりとチンコの先に黒い甲虫が噛みついていた。
「まぁっ、これは立派ですね!」
……こういう場合、俺は「それほどでも」と応じるべきだろうか。
でも姫様のことだから「立派ですね」は虫の大きさに対しての感想であって、ボケても何のことか分からない顔をされる気がする。それどころか「何のことですか?」と説明を求められるかもしれない。うむ、ボケが不発で追い打ちを受ける方がずっと辛い。
一瞬にして冴えた答えをはじき出した俺は、思わず口走りそうになった言葉をどうにか胸の内に留めた。
ところがしばらく観察してから、姫様がハッと口元を押さえ、股間から視線を俺の顔の方に移す。
「あ、立派というのはこのクワガタのことの方であって、リンクの陰茎のサイズの話ではありませんよ」
「………………………………ありがとうございます」
言っても地獄、言わなくても地獄だった。
って言うかこの黒いの、クワガタって言うのか……。そうか、お前クワガタって言うのかぁ……。
名前を知れば親近感でも湧くかと思ったがそんなことは一切なかった。ただひたすら痛いだけだったし、プルアはゲラゲラ笑いっぱなしだった。笑いすぎて卒倒するんじゃないかというほど笑っていた。
「ちょっと姫様、それ言ったら可哀そうだって! ハイリア人の六割ぐらいは仮性って言われているし、まぁサイズ的にも平均ってとこね!」
「それはそうですが、でも誤解は正さねばなりません。まごうことなく立派なのはこのクワガタの方です!」
「そうね、勃起してこれ以上食い込むのも面白いけど、さすがにクワガタの方が可哀そうだわね」
散々な言われようでもう勃つ瀬がない。そんな俺に一切構わず姫様はしげしげとクワガタを眺めた後で、ポケットからなぜか緑ルピーを取り出した。
なんでそんなものを? と思っていると、おもむろにルピーでカシカシとクワガタの背を擦る。
なんで擦る……? 何かのまじないですか……?
いいやこの際、まじないでも何でも、クワガタがチンコを放してくれたらそれでいい。チン棒対決しようとした俺が悪かった。相撲は止めてせめてフェンシングにします。本気で悪いと思って謝るから、返してくれ俺のチンコ。
女神に祈りを捧げる敬虔な信者よろしく手を握りしめて姫様の奇行を見守っていたのだが、信じられないことに十秒と経たないうちにクワガタは俺のチンコを放した。
「……え?」
いまなら解放されたチンコで空も飛べる気がした。
「不思議なのですが、クワガタの仲間は背中を固いもので擦ると挟んだものを放してくれるんですよ。一説には天敵である鳥のくちばしと勘違いしているのではと言われています」
「えぇ……そんなことで……?」
ぽとりとチンコから落ちたクワガタは少しボーっとした後で、いそいそと何かに向かって歩き出した。痛みから解放されて俺は、呆然とその行く先を見守る。クワガタの行先は、姫様によって華麗に引っこ抜かれたベルトのポーチだった。
そう、なぜかあのポーチをクワガタもカブトたちも取り合っている。俺のポーチのいったい何が彼らを引き付けるのかは分からない。そんな魅力的なんだろうか。
「アンタさぁ、はちみつとか甘い物がポーチの中で零れてるんじゃないの?」
「はちみつはちゃんと瓶に入れ―――――――ッたぁぁッ!」
「傷口の消毒はマストです。動かないでくださいリンク」
容赦のない消毒液が、姫様の手によってチンコにぶっかけられた。
しょうがない。虫に挟まれたんだからどんなばい菌入るか分からないから消毒されるのはしょうがない。でも予告ぐらいは欲しかったです姫様。あるいはサプライズはもっと優しい物の方がいい。
またしても股間を押さえ、お尻を丸出しで地面をゴロゴロする。ハイラルの勇者にとしてはあるまじき姿だが、こういう痛みを乗り越えた経験がいざというときに勇気の支えになってくれるんじゃないだろうか。知らんけど。
俺がもだえ苦しむ間にクワガタは姫様に捕獲され、ポーチはプルアに奪われた。乱暴にポーチが逆さまにされる。まるで子供のポケットのように、覚えのある物無い物がボロボロと出てくる。その中できれいな薄紫色の液体の入った瓶のコルク栓が、少し緩んで中身が零れていた。
がっちり姫様に掴まれたクワガタはその場で足をばたつかせ、そのクワガタに負けて俺によってポーチにしまわれたカブトたちがその薄紫色の瓶に群がっていた
「何かしらコレ? ……ん、少しアルコール臭がするわね」
「アルコールということはお酒ですか?」
「アンタ、紫の酒なんてどこで手に入れたの?」
「んんー?」
俺のポーチに入っていたのだから俺が入れたのだろう。でも薄紫色の液体なんて記憶にはなくて、何だか本当に分からない。ようやくパンツとズボンを履きながら、俺は左右に何度も首を傾げた。
「なんだ、これ……?」
三種類のカブトたちには丁重にお引き取り頂き、瓶を開ける。
プルアに言われた通り、中身の薄紫色の液体からはほんのりお酒の匂いと、とても甘い香りが漂っていた。試しにペロッと舐めようと指を突っ込むと、形を崩した四弁の花びらが指に絡みつく。
それで正体を思い出した。
「これライラックの砂糖漬けだ」
「ライラックって、花の?」
「うん、そう。ライラックの花は砂糖漬けで食べられるって聞いて、余ったキビ糖と一緒に瓶に突っ込んでおいたんだけど、水分が多すぎて発酵しちゃったのかな?」
「……思い出しました!」
再び姫様がぱっと目を輝かせた。同時にワシワシ脚を動かすクワガタを、天に向かって突き上げる。
「カブトはライラックの樹液が大好きだと御父様から聞いたことがあります! ナラやクヌギよりもライラックの方が集まりやすいとか!」
「なんと」
「つまりリンクが意図せず作ったその液体はカブト集め最強の液体! これで私が夏休みの子供たちのヒーローになれます!!」
「いま、なんと……?」
曰く、姫様は着衣水泳の特別課外授業で子供たちの注目が俺にばかり集まるのがちょっと悔しかったと。そこで時の神殿跡で夏休みに子供たちとキャンプをしようと考え、今回は調査という名の実地踏査をしに来たのだとか。
だから何度も調査したはずの始まりの大地へ来たのか、と今さらながらに腑に落ちた。言われてみればプルアと二人でやっていることは調査とは名ばかりで、小石をどかしたり草を抜いたり、テントを立てる場所を確保していると言われればその通りだった。
でもこの液体、使うんですか? まじで?
もう挟まれるのは御免なので大人しくライラックの発酵蜜は引き渡したが、嫌な予感しかしなかった。夏休みにここで使って、半分ぐらいクワガタが来たらどうしよう。股間がそわそわして直視できる気がしない。
「ちなみにクワガタは近年海外からの積み荷に着いてきた外来種なので、標本にしますけどいいですか?」
「あ、はい。それは構いません」
「外来種として注意喚起するために、皆の見える場所に飾ることにしましょう!」
「え、飾るの……?」
幸いにもその後のキャンプではクワガタは一匹も姿を現すことはなく、外来種が生息地を大きく広げている様子はないと判断された。
こうして俺のチンコを掴んで離さなかったクワガタは、姫様の手によって立派な標本にされて監視砦に飾られることになった。そしてその立派なハサミを持つ姿から、今度は虫好きの心を掴んで離さない幻の虫となった
なお、姫様が庭にライラックを植えたいと言い出すのだが、珍しく俺が大反対するのはこれより少し後のことであった。
了