case-回生
ねぇ、と俺は両隣のおじさん二人を見た。
馬宿に入ってすぐ、理由はよく分からないが「気に入った」と言って見知らぬおじさん二人が飯をおごってやると俺に声をかけてきた。おごってくれるのを無下に扱うわけにもいかないし、ここのところ路銀も少なくなっていたので俺は喜んで二人の手招きに応じた。
間に座れや、ちっこいんだからよく食え、そのナリでも成人なら酒の一つでも飲めるだろうと、おじさんたちは俺に次から次へと食い物と飲み物をくれた。
俺におごってくれると声かけしていたのを馬宿の主人も目撃しているし、最悪、あとから代金を払えと言われても、この二人相手に負ける気はしない。だから思う存分に飲み食いさせてもらった。
「ねぇ」
おじさん二人は俺の横にぴったりと幅寄せしていた。
「あ、あのさ」
実は、先ほどからもよおしていた。腰のあたりがむずむず、ぞくぞくする。それをごまかすように足を組んで、ぎゅっと股の間に力を込めていた。
馬宿の厠は大体裏手にある、大した距離じゃない。たった裏まで行きたいだけなのに、おじさん二人が邪魔をして立ち上がれない。
「どうした小僧。お、あれか」
「うん、そう、ちょっと立ちた……」
「おーい、こいつにもう一杯酒持ってきてくれるかー?」
「え、いや、そうじゃなくって」
何を勘違いしたのか、その後もおじさんたちは雛鳥に餌を運ぶ親鳥がごとく、俺にせっせと食い物や飲み物をくれた。特に飲み物の方を。
この時点で何かが可笑しいと思えばよかったのだが、生憎俺は『常識』とか『疑う心』とかいうやつをまるっと回生の祠に置き去りにしていた。
「あ、えっと、ちょっと俺……」
「んん? どうした坊主、顔色が悪いぞ」
「そりゃいかん、ちゃんと休んでおけ、な?」
そう言って立ち上がろうとする手を、強引に掴んで引き下げられる。そのたびに膀胱の中がたぷんと揺れる。
もうそろそろ限界が近かった。
「いや、そうじゃなくって、厠行きたいの! お願いだからちょっとどいてっ」
世の中は、言えば聞いてくれる人たちばかりだと思っていた。
途端、二人はニチャァと気味の悪い笑みを浮かべて、振りほどこうとする俺の腕をもってそのまま下へ引っ張った。また膀胱の中で液体が揺れる。
「ふあッ……ちょ、やめろよ!」
「お前、ただで逃げるつもりじゃねぇだろな」
「はぁ?!」
「わしらから食い逃げしようったってそうはいかねぇぞ」
「おごってくれるって言ったのそっちじゃん!」
ぐっと力を込められて両脇から抑え込まれる。運悪く、壁際の席だったので後ろにも逃げる隙間はなかった。
もちろん振りほどけば二人ぐらいならどうにかはなる。でもそんなことをしたら意地悪をしてくるおじさんとはいえ、怪我をさせてしまいかねない。それにまだ俺は『話せばわかるはず』という淡い期待が残っていた。
「お願いだから、厠行かせて! 漏れちゃうから!」
もう足を組むぐらいでは抑えられなくなった尿意のために、太ももをぴったりくっつけて膝を擦り合わせる。股を手で抑えたいぐらいなのに、両脇から掴まれていて抑えさせてもらえない。
「そんな、演技しなくてもいいんだぞ?」
「演技じゃなくって、本当に行きたいんだってばッ」
「最近の若い奴は嘘つくから、どうかなぁ」
酒臭い息が両側からふぅーっと吹かれて、その感触にぞわぞわと鳥肌が立つ。
「あっ、だめだから……ほんっと、むり、いかせ、て……」
声を出す、それだけの力の入れようで先っぽから出そうになる。まさかこんなところで漏らすわけにはいかない。おじさんたち以外のお客だっているし、さっきからちらちらと馬宿の人がこちらの様子を見ている。こんな人の目があるところで、子供じゃないんだし、だめ、絶対出せない。
「おねがいだからー! 厠行かせくれー!!」
最後の力を振り絞り、俺は馬宿全部に聞こえるように大声を上げた。多くの人がこちらを見る。分かってる、恥ずかしい。でもこうでもしない限り、おじさんたちは俺を離してくれなかった。
「チッ……行けよ」
「はっ……あぅッ…………」
おじさんを押しのけて立ち上がり、内また気味に歩き出そうとした瞬間。
「ったく、面白くねぇな」
いら立った声と共に、一発ドンと腰を蹴られた。
じゅわ……。
「あッ……」
先っぽが大きく濡れる。涙目になりながら股を覗き込むと、いい訳できないぐらい染みが出来ていた。
「う、ぁ………」
でもまだ滴ってない。大丈夫、後ろからならバレてない……たぶん。
そのまま静かに体を揺らさないように、なるべく平然を装って歩く。でも一歩踏み出すごとに体を揺らす振動で、俺の先端から液体が零れていく。
じょわ、じょわ、と。手でどれだけ抑えても、もう零さずに歩くことはできなかった。
「やっ、……とまっ、ちょ、ま……っ」
染みは股から下へどんどん面積を広げ、生ぬるいものが足へと届く。裏の厠へたどり着くころには、ブーツの中まで届くほどになっていた。
木戸を開けて中へ入る。ようやく辿り着いた、だいぶ零れたけれど。でもついた
あとはベルトを外してズボンを下ろして、と思って手を離した瞬間。
じょわわわわわわわわ。
「あぁっ、はっだめ、なんでェ」
抑えるものの無くなった股間から、俺の意思に反してあふれ出す尿。染みなどという生易しいものではなく、足元に大きな水溜まりを作っていく。
しょわわわわ、しょわ、しょわ……ちょろろろ。
全部、出きった。いい訳のできないほどの失態を前に、ベルトを外そうとする手を諦めて頭を抱えた。
「うわぁ……」
生ぬるい股間に絶望する。おじさんたちの嫌がらせで厠に行かせてもらえなかったとはいえ、これはどうすればいいんだろう。
ぽたぽたと滴る液体を指ですくい、思わず目をそらす。手元に服の換えもなく、着替えを頼める相手もいない。このまま人目のある所に出ていくしか。
――人目。
「……あ」
どこと言わず、何となく上の方を向く。
「あの、もしかして見えちゃってますか……?」
いつも俺を導いてくれる綺麗な声の主が、そっと顔を背ける気配がした気がした。途端、顔から火が出るほど熱くなった。やばいやばい、すごく、恥ずかしい。
でもなんだか、いつかどこかで同じような経験をしたような感じがした。もしかしたら俺は、また何かとんでもないことを忘れているのかもしれないと思った。