なんとなく、これはリンクではあるが、リンクではないな、と思った。
「おはようございます、リンク」
薄い朝日の射しこむベッドの中で、私はくっつきあって寝ていた彼に声をかけただけ。ところが彼の寝起きのぼんやりとしていた瞳が、瞬間的にぐわっと見開いた。
互いに薄い寝間着であることを見てとった青い瞳が小刻みに震え始める。いつも通り同じベッドで寝て起きた、それだけのことに声も出せないほど驚いている。
だからこのリンクは、少し違うリンクなのだろうとすぐに分かった。
それで私はどうしたかというと、戯れに手を伸ばして包み込むように口づけをしてみた。
いつも通り、唇を食むように。それから舌を絡めて互いの温度を確認するように。どちらがどちらを導くでもなく、ただ隙間を埋めるように口づけをしよう、と舌先で誘った。
ところが案の定というべきか、そのリンクは口づけの合間の息継ぎすらやり方を知らなかった。途中でぷはっと、明らかに我慢できずに唇を離し、頬が紅潮しているのは羞恥以上に息が続かなかったからだと思う。
困惑しながらもすぐさま私に合わせてくれるのは彼らしいと思いながら、ならばこれはどうかしらと強張る体を抱きしめてみた。するとびくりとあからさまに全身を震わせたが、ややあってから彼の方からもぎこちなく腕が回される。ではではとさらに、薄がけにくるまったままにじりよると、彼は逃げ腰になっていた。
それでもリンクはすぐに息継ぎを覚えて、私に合わせるように口づけをしてくれた。しかしながら、ともに幾年を重ねて得た余裕は欠片もない。抑えきれずがっつくように唇に吸い付くのに、瞳は制止を振り切る己に困惑している。
理性と欲望の間で見事に板挟みになっていた。
「リンク」
これもまた趣があるとは思いつつ、少し可哀そうでもある。彼の火照った頬を撫でた。
「やめたほうがいいですか?」
普通聞くなら、逆に聞くべきだろう。『はい』の方が答えやすいから。
だがそのリンクは私の問いかけに、心底ほっとした様子で喉の奥から声を絞り出した。
「お許しいただけるのなら、お放しください」
「せっかくの機会とは思わないの?」
「もしこれが夢であったとしても、……夢ならなおさら。こんな、私の思い上がりのようなことは、許されません」
ふうむ。誠実なのか、それとも堅物なのか。
そういえば、昔のリンクは自分のことを『私』と言っていたことを思い出した。あれは職務上の一人称ではあったのだろうが、それでも今は彼の『俺』呼びに慣れていたので新鮮だった。己を『私』と称するリンクには、得も言われぬ瑞々しさがある。
でも例えるのなら、この彼は今の私には少々青すぎる林檎とでも言おうか。いじわるもここまでにしておいた方がよいだろう。林檎は熟れてからの方が美味しいことを、私は知っている。
そう思って離そうと思ったのだが、大変なことに気づく。
「私もつい煽りすぎたことは謝罪しますが、でもこれは引っ込みがつかない状況ではないかしら……」
彼の薄い寝間着の下から、大きく主張しているものがあった。
朝ということを考慮しても、それはちょっとつらそうなほど股間を押し上げている。たぶん口づけをしているうちに固くなってしまったのだろう。男性にはよくある話だと聞く。
彼は耳の先まで真っ赤にして視線をそらし、体を丸めるようにしてそれを両手で隠した。
「これは、その、……自分で何とか処理いたします、ので……その、どうか」
ご覧にならないでくださいと、蚊の鳴くような声で私に懇願する。
今ではめったに見られないそのしおらしい態度が、逆にかわいらしく見えてしまった。それがまずかった。
恥ずかしそうに隠す手を押しのけ、私はその熱い膨らみに手を添えた。
「ひぇっ?!」
「お手伝いした方が早いですね」
私の申し出に驚いて硬直しているので、そのまま股間を中心にゆったりと彼の身体を撫でた。
やはり今よりもわずかだが、体の線が細い。あまり見た目が変わらない人だと思っていたのだが、相応に年齢を重ねているようだ。
「あっ…あぁ……・なりません、そんな」
「たぶん一度抜いた方が楽だと思いますよ」
リンクもよく、一度抜いて落ち着いてから私の中へ入ってくることがある。その方がいいとかなんとか、そうじゃないと抱き潰してしまうだとか。男性の感覚についてはもちろん想像の域を出ないが、別人でもないのだから当たらずとも遠からずだろう。
寝間着自体は昨夜寝た時と変わっていない。柔らかいリネンの上下で、私が仕立てたものだった。その腰の紐を引き解いて手を突っ込み、よがり声を堪える顔を見ながら下履き一枚の上から撫でて確認する。思った通りすでに限界まで張りつめていて、先っぽのあたりはしとどに濡れていた。
その下履きのふちに指をかけて脱がそうとする。ところが頑として腰を浮かそうとしない。
「抵抗しないで、脱いでください」
「いえ、あ、あの……ッ」
彼はぎゅっと切なそうに眉をひそめて動かない。角の取れていない石のような性格だったことを思い出し、あれでも随分と丸くなっているのだなと思いながらもう一度撫でした。
でも今思うに、動かないのではなく、動けなかったのだと思う。
瞬間、手のひらにびゅるるっと衝動が伝わった。
「あっはっ、……ん、ああぁッ!」
噛み殺したうめき声が布団に押し付けられる。
私はただゆるゆると布越しに優しく撫でていただけだ。本当なら手で直にはもちろんのこと、お口でもしてあげたいと思っていた。意外と彼は、先端を強めに刺激するのが好きなので、どんなふうに悦んでくれるか少し楽しみだった。
ところがそこまですることもなくリンクは背を丸め、長い射精に身体を震わせていた。
布を突き抜けるほどの精を両手で必死に抑え、それでも指の隙間からも勢い余ってこぼれ出てくる量に愕然としている。その必死さがあまりにも可哀そうで、思わず手を重ねて一緒になって抑えてしまうほどだった。熱い奔流がとめどなく零れ出てくる。
「出て、しまいました……?」
しばらくして声をかけると、無言で頷く。瞳にはうっすらと涙まで浮かんでいた。
本人の性格はどうあれ、体は我慢ならない年頃なのだろうと思うし、彼にもそういう時期があったのだと思えば何とも愛おしい限りではある。ただあまりのことに、本人は絶句していた。はあはあと肩で息をして、丸めた体の中心でねっとりと絡みつく自分のものに愕然としている。
「もうしわけ…・・ござま、せん……」
「構いませんよ、ずっと我慢していたんでしょう?」
所在なさげな青い瞳が潤み、体からは力が抜けてがっくりとうなだれている。目を離したら割腹でもしてしまいそうな顔だった。
だから今度は優しく一つ、乾いた口づけをした。私だって初めて潮を吹いたときは半泣きだったのだ。彼だって今は混乱しているだろうが、気持ちよかったことには間違いない。
「拭くものを持ってきますから待っていてくださいね」
「いえ、自分でやりますから!」
「だめ。むしろ動かないで、お布団のお洗濯って大変なんですから」
言えば素直に待っていたが、ずっとドロドロに濡れた寝間着を絶望的な顔で見下ろしていた。まるで怒られてシュンと耳の垂れた大型犬みたいだ。これはこれでかわいいのだが、放っといたらいつまででもしょんぼりしていそうなので、急いで古いリネンで丁寧に体を拭う。
もういっそのこと、と思って服を全て脱がせてみると、今度は抵抗しなかった。
そしてやはり私の知っているリンクよりもだいぶ傷が少ない。彼は訳が分からずにおろおろしていたが、それもまた一興だ。
「うーん、若い燕というのも案外悪くないかもしれませんね?」
「いったいどこでそんな言葉を……」
「あら、貴方が教えてくれたんですよ、リンク」
「私が?!」
「そう、貴方が」
でも年齢的には恐らく離れていても10歳程度だろうか。その程度の年齢差で若い燕などと呼んでもいいのか分からない。ただ結局のところ私自身は、彼が何歳であろうとも構わない質であることは理解した。
「あの、これは一体どういうことなのでしょうか……殿下」
久々に呼ばれた敬称に目をぱちくりとさせてしまう。そうだった、あの頃のリンクは私のことを名前では呼ばない。
懐かしい呼び方に一拍おいて思わず苦笑してしまった。
「私にもよくわかりませんが……ようこそ百年後の未来へ、リンク」
彼はリンクではあるが、今のリンクではない。
彼は、近衛騎士として私に仕えていたころのリンクだった。
*
「どうして殿下が、私の住んでいた家に住まわれているのですか」
彼は一階へ降りてくるなり、困惑しながらそう言った。
それで合点がいった。この家はリンクから借り受けた家だった。
しかし彼にしてみれば私に貸したつもりはなく、あげたつもりで別所に自分の家など建てている。拠点のない私がもらってしまったも同然なのだが、形式上は彼が買った家を借りていた。
ただこの家を買った経緯を聞く限りでは、元の自分の家とは知らずに買ったようだった。
「貴方に貸していただいているの」
「どうして、殿下がそんな」
賢い彼のことだ、そのように言えば状況がいくらかは飲み込めると思った。
すでに城はなく、私は誰かにかしずかれるような生活はしていない。それを踏みしめるように台所に立ち、固くなったパンを切る。かまどに火を入れて湯を沸かし、お茶を入れる。昨日の残りのスープを温めなおし、チーズを切ってパンに乗せた。
我ながら手際よく準備できるようになったと思う。
「実はね、私はもう殿下なんて呼ばれる立場じゃないのよ」
朝ごはんをテーブルに並べても、リンクは直立不動のまま動かなかった。ああそうだ、この頃はたぶん、どうぞと声をかけるまで椅子にすら座らなかったはずだ。それに一緒に食事をするなんて夢にも思っていない。
「さあ座って、一緒に朝ご飯を食べましょう」
言えば、青い目がきょとんと丸くなった。これはこれで可愛いものだけれど、その驚きの半分ぐらいは私が料理をできることへだといいな、などと思うのは自惚れだろうか。
最初はおずおずと、だが無言で咀嚼する彼は今と大して変わらず、食べるのも早かった。
「何があったのか教えていただけませんか」
あいにくの雨模様で掃除はほどほどにしか、洗濯は全くできなかった。昼食が終わるともうやることが無くなり、手持ち無沙汰になった彼はそう切り出した。ずっと声をかける機を見計らっていたのだろう。
加えて、あたりを見れば何かがおかしいことに気が付く思慮深さもある。百年後へようこそと言った私の言葉を信じた時点で、何か奇妙なことが起こったことは理解している様子だった。
ただ比べてみると、辛抱強さは昔の方があった気がする。などと、逐一比べてしまうのは失礼と思いながら、瓜二つなのにまるで雰囲気が違う同一人物だから苦笑をこらえられなかった。
でも私は、はあ、と大きなため息を一つ吐く。
「実は、教えていいのか迷っているの」
天気さえよければ外仕事もできただろうに、雨の日はもう糸紬ぎぐらいしかできることがない。
あいにく今日は学校はお休みで、他に用事がない以上、彼に話をせねばならぬのだろう。まるでそうしろと言わんばかりの雨だ。
「確かに今ここで、貴方に何があったのかつまびらかな事情を話せば、全てをやり直せるのかもしれません。――でも」
でも私には。
「それが本当に正しいことなのか、分からない」
「なぜですか」
「百年前に失われたものの上に立つ今もまた、命あるものだから」
窓の外、裏の池の脇で雨に濡れる花畑を見る。今時、食べ物にもならない花をわざわざ育てて何になるとも思ったが、趣味と割り切って作った花畑だ。実際は薬草にもなるので全くの無駄ではないが、食べられるものが優先の現在では珍しい畑だ。
その花ですら、土を栄養にしている。その土には、枯れた草木を混ぜ込んで栄養としていた。
命はただ死ぬのではない、次の命の苗床になるのだ。
ならば百年前に亡くなった命もまた、今を生きる百年後の命の苗床になっているはず。それが無くなった時、今がどのように変化するのかは分からない。
だから何が正しいのか、分からなかった。
「少し考える時間をください、リンク。貴方に何を話し、何を話さないかを、考えさせてください」
「はい」
とは言ったものの、――これは時を司る者としての単なる勘だが――このリンクがここ居る時間はそう長くはないと思った。早めにこの思考課題に蹴りをつけねばと、私は気合いを入れて少しばかり頬を叩く。
その傍らで、彼はずっと微動だにしなかった。騎士としての気概がそうさせるのかもしれないが、このまま待たせるのは少し不憫だ。
「代わりに貴方は少し休暇と思って気楽にしてください。その様子だと、たぶんまだ貴方の知るゼルダは貴方に心を許していないのでしょう?」
「……ご存知でしたか」
「だって私自身のことですもの」
わずかにうつむき、彼はふがいなさそうにほろ苦く頬を緩めた。そんな顔を見るのは初めてだったが、案外当時の私が気付かなかっただけで、彼はずっとこんな顔をしていたのかもしれない。
私も大概、彼自身のことなど見ずにいたのだなぁと感慨深くなった。
「随分と昔の私が苦労を掛けているようで、ごめんなさいね」
「私が至らぬせいです」
「……一概にそういうわけではないのだけれど」
そこだけは誤解を解いておいてもいいのかしらと思った。
しかしさて、困ったことにこのリンクは気楽にと言っても楽を許さず、休暇と言っても休まないリンクであった。ぴったりと私に張り付いて、まだしもハリツキトカゲの方がはがしやすいのではないかと思うぐらいじっと見てくる。
だがこの感覚は、確かに覚えがあるものだった。
言っても通じない、職務に実直と言うのはそういうことではないと、何度思ったことか。当時の私が一方的に圧迫感を覚えて忌避していたと思っていたが、やはりそれなりに彼自身にも問題はあったのかもしれない。
それで一つ、策を講じることにした。
「リンク、糸紬ぎはできますか?」
僻地の村では、最初に娘に覚えさせるのは糸紬ぎであると聞くので、もしやさわりだけでも教えてもらっていたら幸いだ。できなければイモの皮むきでもさせよう。
「母に習いましたが、あまり上手では……」
「よろしい、ではお願いします」
むしろ下手な方がよい。
私はいつも使っているスピンドルとコウゲンヒツジの羊毛を籠ごと渡した。えぇっと困り顔になるも、彼は首をかしげながらすぐにスピンドルを回し始めた。
やり始めて分かるが、言う通りあまり上手ではない。出来上がっていく糸には撚りの強いところと弱いところがまばらにあって、これでは力をかけたらすぐに切れてしまうだろうなと思った。本人もそれが分かっているのか、時々小さく唸る。
私はそれを真横で、ただじっと見ていた。
無言で手元を見ていた。
「……殿下」
「見ていられるとつらい?」
「……はい」
「きっとあの頃の私もこんな感じよ」
「……………………、ありがとうございます」
これで通じるのだからまだかわいい方かと思って、私はもう一つあるスピンドルで並んで糸を紡ぐことにした。リンクよりも速いし、それに綺麗な糸を撚っていく。それを横目に彼は意外そうにしていた。
たぶんこんな生活をしている今だから、糸紡ぎがこんなにも上達したと思っているに違いない。しかしながらこれだけは、実は違う。
「貴方の英傑の服も、こうして糸から作ったの。糸紡ぎは今も昔も私の方が上手そうね」
青い目がさらにまん丸くなった。お姫様だからって、何にもできなかったわけじゃないのよと、少しだけ胸を張る。
しかしながら当時はどちらかと言えば、宗教じみた理由での糸紡ぎが主だったから、あまり楽しいとは思っていなかった。今では話をしながらできるこの作業がとても気に入っている。
夕暮れ時まで競い合うように糸を紡ぎ、リンクのお腹がぐうとなったところでおしまいにした。その頃にようやく雨が上がった。
「糸紡ぎを頑張ってくれたご褒美に、一つぐらい質問に答えようかしら」
もちろん貴方の未来に直接かかわることはお話できないかもしれないけれど、と付け加える。すると彼は視線を斜め下にそらした。あらあら、珍しいこともあるものだと思って見ていると、ひどくおずおずとしながら「あの」と声を上げた。
「……今の殿下と、今の私は、……その、どういう……関係、なのでしょうか」
朝、あれだけのことをしておきながら、確信が得られていないというのだろうか。逆にびっくりしてしまう。
やはり朴念仁もここまでくると筋金入りだ。あるいは単なる初心という可能性も捨てきれないが……?
「そうねぇ、夫婦に近い恋人かしら」
結婚式はしていないので、形式的には夫婦にはなっていない。ただ、そういう関係であることは周囲からも認められているので恋人以上ではある。お互いに家があるのがネックで、ほぼ通い婚みたいな状態だ。
それを聞いたリンクは頬を赤く染めて口をパクパクしていた。
夕食後は、好きにしていいけれどもベッドは一つしかないし、外で寝るなんて近所迷惑はしないでねと先回りして釘を刺しておいた。覚悟を決めて一緒に寝なさいというと、ひぃと情けない声を出したがこれもまた可愛らしいのでよしとする。
あれだけ昼間付きまとっていたことを理解したらしく、少し頭を冷やしてきますなどと言って裏手の山へ登っていくのが見えた。私もちゃんと冷静に考えようと井戸へ潜った。ここなら一人きりになれるし、ひんやりとした空間は落ち着く。
椅子の背にもたれて天井を見上げた。
「何が起こるのか、彼に言うべきか、言わざるべきか」
百年前に何が起こるのかが分かっていれば、リンクならば先手を打つことができよう。そうすれば、多くの命が助かる。
だがそうして助かった命の裏側で、生まれ出でる予定であった命はいったいどうなるのかは分からない。いくらか想像はできる、だが実際はどうなのかは分からない。観測のしようがない。
「例えるのなら、人一人が生きている間に知る時の流れとは、井戸の底から見上げる空のようなものではないかしら」
この井戸の入り口を覆う屋根と、その隙間から見える星空に目を細めた。
小さく円に切り取られた狭い空。その外側に広大な空が広がっているとは知りつつも、井戸の底からではただその範囲しか見ることは叶わない。
時間もそう。自分が生まれる前、死んだ後にも同様に時が流れることは理解できても、そこに関与することは、本来はできない。人間が生きている間にまみえる時間とはほんの一握りに過ぎない。
「さながら井戸の中の蛙……大海の存在が想像できるだけ、まだマシなのかもしれませんね」
私自身は万年の時を龍としていたために、図らずも『時間と言う名の大海』を泳ぎきった稀な人間ではある。ただしその間の意識はほぼないので、自意識としては気づいたら万年経っていただけなのだが。
その私が己の観測できる時間の外側へ、関与すべきなのか、否か。
それは正しいことなのか、間違ったことなのか。
こんな時、リンクはどう答えるかしらと考えてから、またリンク頼みが過ぎるわねと苦笑をした。そこへ慌てふためく声が聞こえてきた。
「殿下……っ、いずこにおわしますか、殿下!」
ご近所迷惑にならぬようと言い含めておいたせいか、だいぶ抑えた声だったが彼が私を探しまわっている様子だった。そういえば井戸のことは言っていなかったことと思い出し、ここよーと声を出す。
まもなく、顔面蒼白なリンクが梯子を飛び降りてきて、どぼーんと水に落ちた。派手な水しぶきが上がる。
「殿下!」
「ごめんなさい、言ってなかったわ。昔からの癖で、考えごとをするときって……」
暗い場所が落ち着くの、と言い終わる前に、ぎゅっと抱きしめられていた。
いやむしろこれは、抱きすがられた。もちろんびしょ濡れのまま、私までびちょびちょになっているがお構いなしだ。
それほどまでに心配をかけてしまっていたらしい。謝罪と安堵の両方を右手に乗せ、変わらぬ麦わら色の頭をぽんぽんと優しく撫でた。
「大事ありませんよ、リンク」
「ご無事でよかった……、殿下に何かがあったら、俺」
「貴方が頑張ってくれたおかげで、今ではだいぶ平和になったんですよ」
あの頃から考えたら信じられないだろうけれど魔王を倒して数年、マモノは年々減少しつつある。もう街道沿いや町村の周りには全く姿を現さなくなった。代わりに人間の野党もどきが増えたのが厄介だが、そういう連中は人目の多い村へはおいそれとは入ってこない。
それは全てリンクが作り出してくれた。でもこのリンクはまだそれを知らない。
彼には彼の見ている井戸の底からの空があって、私が見ている空とはまるで違う。ただ空は一続きで、きっと彼の空から私の空へと続く過程を想像することは、難しいが不可能ではない。
「そうね、井戸の中の蛙が井戸の外までどうにかしようとするのは、おこがましいのかもしれない。それは女神様の領分だわ」
本来手の届かないはずの過去をどうにかする機会を得て、一瞬でも心躍った自分がいたことは認める。ウルボザを、ミファー、ダルケル、リーバルを、御父様を、死なせずに済む可能性にすがりたくなったのも事実だ。
だとしても、私はすでに百年前と同程度には、今を大事に思ってしまっていた。天秤にかけても、決められない。
「でも天の高きは知っているつもり。だから私がお話できるのは、あの時起こったことではなく、今がどうであるかだけ。歴史を変えようなんて大それたことはできないけど、今を教えて貴方に心の準備をしてもらうことはできるかもしれない」
本当ならば言ってしまいたい。
私の力の目覚めには、貴方が必要だったのだと。でも言ってしまったらどこかで歯車が食い違って、今が狂ってしまうかもしれない。
そうではないのかもしれない。
分からない。
苦しい、でもきっとこれは、私に課せられた命題だ。
「心して聞いてください。貴方は大きなものに立ち向かう時が来ます。そのとき、私は隣にいないかもしれない」
「でも、今は」
「そう、今は隣にいる。だからそういうことです、決して諦めては駄目」
青い瞳は、まっすぐに私を見て頷いた。
これでもまだ道行きは闇ばかりで、事態が起こった後になって言葉の意味を知るのだろう。『諦めるな』なんて凡庸すぎる言葉では、真実は欠片も伝わらない。でも私が言えるのはここまで。しょせん女神にはなり切れなかった私はただの人間だ、これ以上は言うことはできなかった。
それよりも意図せず二人してずぶ濡れになっていることの方が、存外いまは問題だった。
「ところでリンク、今日お洗濯できなかったのですが」
「……、あっ」
「明日晴れることを願って、脱ぎなさい」
まったくもうっと母屋に戻って私自身も寝間着を脱ぐ。露わになった私の姿に彼はまた、ひっと悲鳴にも似た声を出したがしょうがない。朝の一件と今のずぶ濡れ騒ぎで、二着しかない寝間着は両方とも着られない。
仕方がないのでもう一枚上掛けを引っ張り出して、さあとベッドの上で両手を広げた。
「自業自得ですよ」
「そ、そんな……」
もとより冬場などは人間同士くっついて暖を取り合いながら眠るものだ。一人で寝る方が僻地では珍しい。そういうものだと本人だって知っているだろうに、まったくもう少し考えて飛び込んでくればいいのに、と思わないでもなかった。それぐらい必死だったのは認めるけれど。
ものすごーく慎重に、それこそ一度罠にかかったことがある狼ぐらいの足取りで、リンクはベッドに膝をついた。私を裸で待たせていることなんか忘れるぐらいの重い足取りで、布団の中に入ってくる。
あまりにも遅いので、えいやっと腕を引いて倒す。うわっと間抜けた声がしたので、そのままぎゅむっと押さえ込んだ。
「どうします?」
いい歳した男女が二人して裸でベッドに入って、どうしますもこうしますも普通はない。でも聞かなければ、我慢に我慢を重ねて暴発する質であることは、朝の一件で分かっていた。
なお、軽く聞いてももちろん口をもごもごとさせて答えが出てこないので、もう一押ししなければならない。なんとも手のかかる、しかし恐らくこの分では何もかもが初めてだろうから大目に見ようと思う。
「したいですか?」
「……したいけど、したくない、です……」
「まぁ、わがままさん」
「殿下お願いです、困らせないでください」
いつもはきりりとしている眉が、情けなく八の字に下がっていた。それだけで言いたいことは十二分に分かった。
意外とロマンチストな部分があるのねと思いながら、朝と同じように唇を食む。するとリンクは、朝よりはだいぶ落ち着いて私の舌を吸い返してきた。
「じゃあ練習にしておきましょうか」
「練習?」
「だって、本当にこうなったとき、焦ったところは見られたくない性分ではありませんか?」
問えば、むぐっと押し黙ってしまう。分かりやすくて笑ってしまった。
でも思い返すと、こうして初めてリンクと寝床を共にしたとき、私は頭が真っ白だったのに彼は妙に落ち着いていた。私と違ってきっと経験があるんだわと少し残念に思ったが、よくよく考えたらこんな融通の利かない人が経験豊富であるわけがない。今になってみるとちょっと騙された気分だ。
妙な筆おろし、これを筆おろしと言っていいのかどうかも分からないけれど、とにかく妙なことには変わりない。いつまでも終わりの見えない口づけだけで一向に進みそうにないので、おもむろに手を取って自分の胸元にまで案内する。
「触って」
「よろしいの、ですか」
「もちろん」
最初はやわやわと全体の感触を確かめるように、次第に指先の興味が固くなってきていたつぼみに向かう。恐る恐る卵でも触るかのような指先に、ほんのりと鼻にかかった吐息が漏れた。
「ここ、固くなって……」
「気持ちいいとそうなるの。もっといっぱい触ってもいいですよ」
「もっと?」
なるほど程度が分からないのかと思って、私もリンクの胸の飾りを指先でくりくりとこねくり回す。
「んっ……」
「これぐらい」
「っ……、はい」
慣らさなければ男性の胸は感じないと聞くけれど、今のリンクは私が触れればどこでも目を細めて顔をとろかしている。こんな顔をずっと見ていたら事だ。
私の胸の感触を楽しんでいたところを申し訳ないが、その手をふと遮る。よほど胸の感触が気に入ったのか、名残惜しそうに指が宙を掻いた。その手首を掴み、私はくるりと背を向けてしっとり汗ばんだリンクの腹に背を当てた。
「胸ばかりじゃなくてこっちも触って」
彼に後ろから抱え込んでもらう形になって、すっかりぬかるんだ自らの割れ目へといざなう。本当はこんなことをしなくたって本能的に触れてきそうなものだが、疎いのか控え目なのか分からない。
「はっ……うわ……」
自分の指が触れたものが私のどこなのか、彼が理解した瞬間、背中に当たっていた彼の雄が震えた。すでに熱く固くなっていて、朝一度抜いなかったら今頃また危なかったかもしれない。もはや触れないようになどという気配りのできる段階はとうに越え、私のお尻や背中にはこらえきれない先走りが塗りつけられている。
それでもいい。それぐらい、夢中でいい。
あるいは彼の初めてが、私であったことに感謝したい。
これは一見すると愛情に見えるけれど、ともすれば愛情の種類が違う。実はただ形ばかりの行為で、彼の本当の相手は私じゃない。だから今はただ、いつか来るその日のためにやり方を覚えるだけと割り切っていいのよと思った。あの日の私が、幸せであることが一番嬉しいから。
「んっ……リンク、もっと強くして……」
「こう、ですか?」
「うん、…上手……あっあぁ……」
無骨な指が肉襞をかき分け、見つけた陰核を胸のつぼみと同じようにこねる。この辺りは飲み込みが早いのか、胸と同時に摘まみ上げてきた。
「んあぁっ!」
思わずもがいたが、押さえられてついでとばかりに耳たぶを食まれる。音立てて食まれると背筋がぞくぞくとして、たまらず腰をうねらせてしまった。
その拍子に彼の指が柔らかいところに当たる。それでようやく彼もまた、そこにさらに深い場所があることに気づいた。
「ここも、……殿下、ここも、触れてよろしいですか」
はあはあと、リンクもただならぬ吐息を漏らしながら、間断なく指を滑らせる。葛藤があることは火を見るよりも明らかだった。
これに対し、許しを与えるのは簡単だ。でも私はまた彼の困った顔が見たくて、少しばかり意地悪をすることにした。
「名も呼んでくれないのに?」
「……それは、その」
「いま、この褥には貴方と私しかいないのよ」
出会ったときは確かに殿下と呼ばれていた。いつからゼルダ様と呼んでくれるようになったのかそのきっかけは思い出せない。ただ淀みなく名を呼んでくれるようになったときは、なんとなく嬉しかった記憶はある。
「ぜ、ゼルダ、……さま」
石臼に挽かれたような声だ。
確認するまでもなく、耳の先まで真っ赤なのは分かった。
「及第点、ですかね」
「うぅ……」
騎士としては優等生かもしれないが、密事については不器用すぎるなんて、なんともらしいではないか。今度は向き合うようにして、触れやすいように太ももを持ち上げると、彼は息を飲みながら私の一番柔らかいところに指を入れた。
「指はたぶん慣らせば、三本ぐらいまでなら…あっ……」
「こう? ですか?」
内側の肉の柔らかさ、感触を押して確かめたり、抜き差ししたり。そのうち陰核と一緒にグリグリと程よく押されてしまうと、私の方もつい余裕がなくなっていく。
「あっリンク、……やぁっ、そこ、……っ」
だめ、と言ったら多分やめてしまうから絶対に言わないように、しかしながら切羽詰まって思わず首にすがる。いつもの彼と違うとは分かっていても、私だって余裕があるわけでもなく。
がくがくと腰を揺らしながら、あるところで星が弾ける。
「あっ、あァっ……!」
ぷしゅっと彼の手首に潮がかかった。
ある程度自分では分かっていたことだったが、気持ちいいとどうしても出てしまう。でもリンクはそれが何なのか、たぶん別のものを想像したらしい。分からなくもない、私も最初の時は粗相だと勘違いをした。
私の膣から抜いた手をまじまじと眺め、かける言葉を探すように視線がうろうろとさまよった。見ているこっちが恥ずかしくなってしまう。
「潮を、吹いてしまったの……びっくりしたでしょう、ごめんなさい」
「しお……?」
「女性の中には気持ちいいと、出てしまう人もいるのよ」
そうなんだ、と彼は口の中でつぶやくと、やおら体を起こして私の腰の方へと向かった。柔らかくほぐされた脾肉を右の指先で楽しみながら、自分の竿を左手で半ば無意識にしごく。
うっとりと目を細めて、幾度も艶めいた息を吐き出し、あとはそうするしかないと分かり切ったように私の丘に己がものを当てる。しかし長きにわたる自戒に調教された彼の理性はい、それ以上を踏み出すことを許そうとしない。
「リンク」
持ち上げた私の太ももを無遠慮に撫で、ところが泥濘より先にはようとして触れようとしない。難儀な性格だ。
「難しい?」
「……はい」
のどぼとけがせわしなく上下する。かぶりを振り、何かから逃げるように私に覆いかぶさって、私の首筋を甘噛みしながら許しを請う。
「すでに、そうであるとは分かっていても、殿下は……ゼルダ様を犯すなんて、できません」
「我慢強すぎるのではなくて?」
「勇気がないと笑ってください」
それもそうねと、まだ濡れている髪を梳いた。彼の心と体の一致には、少々時間が足りない。もしくは一致させるのは私ではないのかもしれない。
そうだったとしても、いきり立つ本能は私の割れ目をこすり上げて、そのまま達してしまいそうなほど熱い高ぶりになっている。ああ本当に不器用で哀れな人だこと。
でももし彼と彼とが入れ替わったことに意味があるのなら、多分話をするよりも体に覚え込ませろということなのだろう。実際、彼には話をするよりもやって見せた方が早いことは、糸紬ぎの一件からも分かっていた。
「ベッドのふちに腰かけて」
「……?」
何をされるのかさっぱり分かっていない彼は、指示されるままにベッドに腰かけた。私は一度達した気だるい体を転がして、ベッドから降りる。そうして床に膝をつくと、震え勃つ竿に優しく口づけをした。
「勇気がないのなら、今日のところは見ていなさい」
「だ、だめ、で……きたな、ぁ…あぅ、あっ……」
舌に唾液を乗せて先端を包み込むと、途端にしょっぱいものがあふれ出てきた。いつもの彼と変わらず、あるいはそれ以上の良い反応に私も思わず笑みがこぼれる。
笠の外周をぐるりと舐めまわし、屹立の上から下まで舌を這わせる。歯が当たらないように竿を口いっぱいに咥えると、リンクは手が真っ白になるほどぎゅっとシーツを握り込んでうつむいた。
顎が砕けるのではと思うぐらいきつく口を結んで声を殺そうとするので、私はちゅぽっと勢いつけて口から放す。するとまた眉間のしわを深くして、背を丸めながら衝動をこらえていた。
「声出していいですよ」
「で、でも……」
「だって我慢されたら、本当に気持ちいいか分からないですもの」
じゅっじゅっとわざとらしく音を立てながら裏筋を舌でたどる。
あぁ、ふあぁと、最初こそ言葉にならなかったかすれ声が、次第にしっとりと熱っぽい声になっていき、目くばせをするとようやく彼は明確に一つ頷いた。
「はっ、ああぁ……はいっ…、きもち、い………です……」
「よかった」
陰嚢はすでにぱんぱんに張っていて、彼がよがり声をこぼすたびに別の生き物のように大きく上下する。試しに袋の方にも舌を這わせたら、内ももが面白いように痙攣した。
どこが気持ちいいか、どう触られるのが好きか、私は自分がしてもらったのと同じようにリンクに聞いていく。もちろんわざわざ聞かずとも、私には彼の剛直が反り返るときはどうすれば一番好きかなんてことは十二分に分かっている。知っている。
知っているけれども、彼自身の口から直接言わせなければ意味がない。
この頃のリンクはたぶん、自分のことを話すのが何よりも苦手だろうから。だからこれはたぶんそういう、練習だと思うことにした。もちろん劇薬だけれども。
だいぶ素直に話すようになってきたところで、ご褒美をあげることは最初から決めていた。
舌を尖らせ、鈴口を念入りに押し開く。とぷりとあふれたものを舐めとり、少し強いぐらいに先端を吸うと、リンクは天を仰いで白い喉をさらした。そこで一気に喉の奥まで、彼の強張りを飲み込むように含む。
「ひっ…、い、いやっ……でちゃ、っぬいて……ぬいてくださっ、うあぁぁ……ッ」
抜いてなどあげるものですか。
ぎゅうっと何度も収縮を繰り返しながら、勢いよく精液が飛び出してくる。それを全て口で受け止める。びゅるびゅると、朝よりも量が出るのだから若い証拠だ。苦いのは承知の上でごくりと飲み干すとリンクは余韻もなく、真っ青になっていた。
「決して美味しいものではないのですけど、貴方のですから」
「そ、そんな……」
嘘ではないが、反論を許す気もなかったので呆然とする彼を抱きしめてそのままベッドに転がり込んだ。大昔、まだ少女と呼ばれるぐらいの年齢だった頃よりかは、幾分かふっくらとした胸にリンクの顔を押し付ける。
「リンク、おやすみなさい」
硬い髪をなで、額に乾いた口づけをいくつも降らせる。
相も変わらず可愛らしい人だと思った。でもそんなことを言ったらこの彼は赤面してそっぽを向いてしまうだろうし、逆に現在の彼は嫉妬するだろうから、言葉には出さなかった。
とてもとても、不思議な幸福感だった。